2011年9月5日 あれから半年後
9/4
前回の仙台行き行程より約1時間遅く家を出発。
それでも黒磯から先は同じ時間だったりする。
寝不足でもなかったはずだけど結構寝たまま移動してた。
宇都宮行きで起きたときに寝過ごしたっ!と焦ったのは内緒だ。
あとはドライに言うと前回と同じ。
仙台についてから特に行く当ても無く駅前をうろちょろ。
そういえばLIVEHOUSEのあるところって一番街だったのね。
つまりざんげちゃんがいるところだったのか。
知ってれば時間あったしちゃんと調べてきたのだが。
9/5
今回ようやく1日分時間を作ってみた。
とりあえず気になるところといえば仙石線の運行休止部分。
というわけでまずは へ移動。
なんでこの駅までなんだろうと気になったけどとりあえずここが交換駅なのか。
駅から見る限りここから先はなんでも無い感じ、但し草ぼうぼう。廃線っぽい印象。
この駅からすぐの所の踏み切りの遮断機の棒が取り外されてた。
ここから石巻方面へ徒歩移動。丘を越えて見えたのは斜めになってる架線柱。
それでも十分衝撃的だったが…。
手樽駅は簡易スイカ改札機が取り外されてた。ああいうふうに取れるのか。
ここは架線柱以外はまともに見えたが…。
さらに県道歩いていって再び丘を越えたら線路が海側になってた。
そして陸前富山駅到着。踏み切りの遮断機の棒は付いたまま。
それよりも駅の惨状が。駅自体は後から地図で見ると小さい湾の一番内側にあるのかな。
津波の影響は感じられなかったけど目の前の堤防?はブルーシートに覆われてて
ホームはよく立ち入り禁止になってないなと思うほどボロボロ。
いや、点字ブロックは綺麗に整理されてた。でもそこまで。
ホーム欠けてるとか線路が曲がってるとかここに来て地震って大きかったんだなと。
松島四大観の一つがこの駅の周辺らしいから時間があればまた来る…かな?
今日も時間があればこのまま歩いていって仙石線を辿りたかった所だけど
今日は七ヶ浜に行くという目的があったのでここで折り返し。
この先どうなってるんだろう。線路付け替えという話も出てきてるようだし早めに見に行きたい。
代行バスで松島まで戻って観光っぽい事をしてみたりみなかったりなんだけど。
松島も津波の被害受けたという話だった気がしたがもう大雑把に見た感じじゃあわからない。
細かく見ていけば地震があったんだなという痕が残ってる。
多賀城駅に移動。地図を用意しなかったので観光案内で七ヶ浜の地図を貰おうとしたら
七ヶ浜から観光地図が送られて来てないとの事。
案内所の人の話では七ヶ浜の役所もかなり被害受けたらしいからとの事。
とりあえず2010年版の地図を貰って自転車で移動開始。
まず新仙台火力発電所を見に行こうと思ったら海岸から随分遠い所で
私有地なので関係者以外立ち入り禁止になってたので残念と思いながら引き返す。
一旦坂を越えて降りたら瓦礫が目に付くように。
無秩序に散在してるというよりは所々に固められてたような感じだったけど。
そして菖蒲田浜海水浴場近く…。ここからの光景は目に焼きついて離れないわ。
道沿いの集落が基礎を残して家がすっかり無くなってる。一軒や二軒じゃなく集落が。
門だけ残ってたり陥没箇所があったりとまさに津波の痕とはこうなのかと。
ちょっと内側に入れば高台で一見なんでもなさそうに見えるのがまたなんとも。
案内図が残されてたけど土台がしっかりして無い感じが見えるから
もしかしたら倒された奴をわざわざ立てたのだろうか?
瓦礫が残ってる所も多分田畑だったんだろうなと思う。
その先も田畑として機能してなく瓦礫が残ってた。
県道の所にあった記憶がある鼻節神社の看板は無くなってた。
それを理由に迷った。多分以前来てなかったらいけなかったかもしれない。
というか地元の方に教えてもらった。
田畑であったであろう所は瓦礫の山を撤去してたけど
神社の近くって海岸近くなのに高台だから特に目立った所は無い。
んー、被害が酷い所を見ちゃったから感覚がおかしくなってるのかも。
神社は地震で灯篭が壊れたのを3月下旬に直すって集まりがあったような記憶があるけど
余震が多かったせいか綺麗に並べられていた。
社は目立った被害は無さそうだったけどきちんと見てこなかった。
神社から海側にも行かなかった。
県道に戻ってさらに進むとボランティアの方々と思われる人たちが20人前後。
ボランティアで来てる方がいる一方で自分みたく何も貢献せずに来てるのは悪いから
なにをやってたのかはよく見てきてない。
その先の仙台火力発電所、ここは被害受けたのだろうか?
見ただけじゃあわからないけど道を挟んで発電所と逆側は津波の被害を受けてたっぽいから
何らかの被害はあったと思うんだけど。
多聞山の毘沙門堂は鼻節神社に比べてかわいそうだった。
灯篭が無残に崩れっぱなし。整理もされてない。ここまで手が回らないのか。
帰りに見た学校敷地内には仮設住宅が。そうだよな、あれだけ被害があったんだもん。
そこまでジャーナリズムも無いし悪趣味でもないので仮設住宅は撮ってこなかった。
学校や町役場は高台にあるのか。通うのは大変そうだけどこういう時にその有難みを知る。
そういえばかんなぎの学校どこだったっけかなと思ったけど
記憶が引き出せないので今回は行ってない。
本当はもっと時間があったはずなんだけど
実は神社でいろいろあって時間を食ってしまったのでここで駅に向かう。
神社の所にグッヅが売ってる場所が掲示されてたのでそこにも寄った。
神社のお守りって売らないのかな?
僕に出来ることなんて今の所無いけれど被災地の方々には前を向いて欲しいと願う。
微妙な時間だったので陸前高砂には途中下車せず。行く気になれば行けたんだろうけど。
仙台駅前でちょこっと時間を潰して帰宅路へ。
福島行きだったので福島で乗換えと思ったらその車両がそのまま黒磯行きに。
仙台で帰宅ラッシュ?だったから座らなかったけどもし座ってたら4時間近く座り続けてたんだな。
あと日差しの強い中自転車に乗ってた生家
体中ほてっちゃって寝れなかったq。
東北本線で寝れなかったから高崎線で寝過ごすのが凄く怖かった。
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