第1章




 「ウノ!ドス!トレス!」注1レフェリーのカウント。
 アレナ・ナウカルパン注2に観客の歓声がこだまする。今日の第3試合、おれと宿敵ミステル・ブランコ・Jrとの久々の対決だった。結果は見ての通りおれのフォール負け。こんなおれにもファンはいる。あぁ、またファンを悲しませてしまったなぁ。

 おれの名前はエル・バンコラン・Jr。もちろんあの伝説のルチャ・ドール注3エル・バンコランの息子さ。オヤジは5年前、あいつのオヤジ、ミステル・ブランコとの試合中コーナー最上段から場外へのパイルドライバーで死んだ。いや、殺されたんだ。
 あいつのオヤジが憎い。あいつのオヤジは未だに現役のカンペオン注4。おれはいつかこの手でベルトを奪い、ルチャ界から葬ってやろうと思っているのさ。しかし、オヤジの前にあいつをコテンパンにしてやらないとな。

 ブランコとはガキの頃からの腐れ縁。いつも一緒に遊んでたんだ。一緒にオヤジ達の試合を見に行って、休憩時間にはルチャごっこをしたりして。
 ハポン注5の諺に「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い」ってのがあるそうだけど、まさにそんなかんじ。オヤジの死後あいつのオヤジはおもちろん、ブランコまで憎いんだ。

 ふっ、こんなこと言っててもしょうがないな。負けはしたけど今日の試合は終わったんだから。さぁ、飲みにいくぞ。行き付けの飲み屋があるんだ。ちょっとイイ店なんだぜ。
 おれは酒屋ニンテ・ドーンの立て付けの古い分厚い木のドアを開けた。
 「Hola !」注6
 いつもの笑顔。立派なヒゲをたくわえた腹の出た気のいいオヤジ、この店のオーナーのマリオ、かなりのキノコ好きなんだ。自分のことをスペル・マリオ注7なんていいながら拳を突き上げてジャンプするんだ、笑っちゃうね。あの様子じゃ今日の試合結果はもう知ってるってかんじだな。
 「テキーラでいいか?散々だったんだろ。」
 ははは、やっぱりマリオはお見通しだよ。おれは苦笑いしながらカウンターについた。こうしてここでテキーラを呑んでると嫌なことってすぐ忘れちまう。もちろん楽しいことがあればその楽しさをいっぱいにしてくれる。ここはそんな店なんだ。

 「キノコ食えよ、キノコ。大きくなるぞ。」
 またマリオがなんかいってるよ。いつもこんな調子でおれをなごませてくれるんだよな。

 ふぅ、少し酔いがまわってきたみたいだ。疲れた身体にテキーラはちょっと効きすぎる。毎度のことながらヤメラレナイよ。そろそろ帰らくちゃな。
 「アスタ・ルエゴ!」注8
 ニンテ・ドーンの帰り道、夜空を見上げると星がキレイだった。

 
そして今日もまた、なにもない1日が終わったんだ、、、





注1スペイン語で、数字の1、2、3。フォールの時のカウントですね。


注2メキシコの有名なルチャ会場。アレナは会場の意味。


注3レスラーのこと。また、メキシコのプロレスをルチャ・リブレといいます。


注4チャンピオンのこと。


注5日本のこと。


注6メキシコの挨拶。オラ!=やぁ!


注7英訳すると、スーパー・マリオ。


注8スペイン語で、さようなら。ちなみにこんにちはは、ブエナス・タルデス。


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