その昔小中学生の頃:
初めていわゆるこのような機械に触ったのは、やっぱりゲーム機だろう。任天堂の"テレビゲーム15"であったような気がする。その頃は、パソコンのパの字も知らずにいたわけである。
尚このゲーム機、雑誌の売ります買いますのコーナーで3000円で売れた記憶がある。従って今、手元には残っていない。
1980年前半:
PC8001や、PASOPIAが登場したのがこの頃だろうか。当時の私としては、とても16万なんて出せるわけもなく、ただただ近所の電気屋さんで遊んでいた気がする。確かお金さえ何とかなればPASOPIAを買おうとしていた。
時々雑誌の記事を打ち込んで喜んでいた自分が懐かしいものである。ただ、この頃においてもプログラムを走らせて何かやらせようなどと、高等な考えは全くなかった。(しょーがない奴)
1986年某月:
大学のサークルでエレクトロニクス研究会なんてものに入ってしまっていた。ここは、主にアマチュア無線とパソコンを使った活動をしていた。パソコンが必要になってきたわけである。
初めて手にしたのはPC8801Mk2 FRという国民機であった。ちなみに周りの人間はPC88かAPPLE
Jrのどちらかであった。このとき私はまだAPPLEなど名前くらいしか知らない存在であった。ただ、サークルでみんなAPPLE,アップルと言っていたので、この頃から洗脳されていたのかもしれない。
1989年某月:
就職してAPPLEがいいのはわかっているが、とても高くて手が出ない。しかしPC98のような貧弱なものは欲しくない。ここはSHARPのXしかないと判断してX68000
EXPERT HDを購入した。PC98は、あまりのグラフィックの弱さに見向きもする気になれなかったのである。
X68Kの美しさ、5年間変わらぬスペックに感動したものである。(本当に5年間基本スペックを変えなかったのはたいしたもの!)
1992年某月:
会社の転勤があった。これまで会社では98ノートを使用していたが、異動先にはパソコン環境がない。それどころかパソコンを使って仕事すること自体......。しかしこれまで蓄積してきた環境を、今更無にもできずしかたなく自分でPC-9801NS20を購入する。
これは本当に仕事用。自分のでありながら自宅で使った記憶がほとんどない。
1993年某月:
APPLEが待望のノートを出した。何とかボーナスで手が届きそう....。思い切ってPowerbook140を買った。この頃はKT6.0.7の時代。初めて触れたMACのGUI環境に感動。X68KもGUI環境はあったが、使えるSX-WINDOWの登場はもうちょっと時間がかかった気がする。
1994年某月:
会社でWINDOWS3.1が使われだすが、98ノートNSではさすがにストレスが大きい。話の種にWINDOWSも触っておくべきだろうとPC98921Ne2を買う。この98もやっぱり仕事用。
98NSは、必要なくなるわけだが確か後輩にメモリ付き3万円という破格値であげてしまった。NSとは、仕事では活躍していただいたが、プライベートでは何にも使えない物だったのである。この98NSは後輩に引き取って貰い第二の人生を歩んでもらった。
1995年某月:
PB140を中古として売りにだす。このときやっぱり次はカラー機種にしようと、次なるMACの購入を密かに決意する。
1995年某月:
PDAが騒がれ初め、会社ではZAURUSを目にするようになる。本来私はこの手のものが嫌いで、スケジュールも紙の方を使ってしまう。また、電子メールなるものを仕事でも使うようになり、どこでもアクセスできるやつ、となるとHP
200LXしかない。半分衝動買いで一式そろえてしまう。
1996年1月:
そしてついにPowerMAC8500を購入!
会社を休んで秋葉へ、そして現在へ至る。KT7.5.2はくせ者ではあるが、これだけ手間がかかるとかわいいもんだと思うようになってしまうのが不思議だ。
とまあ、これだけ遊んできました。ちなみに88は、たまにYsの音楽が聞きたくなるときがあるので、部屋の隅に置かれています。
1996年7月:
メモリが安い。RamDoublerよりハードの方が安心だ。ということで増設する。
ついでにVRAMも増設する。これでフルカラーだっ!
これでメイン64M、VRAM 4Mに。
1996年8月:
画面がおかしい・・・17インチモード以上で表示が出ない。
1996年9月:
ついにクイックガレージのお世話になる。メインボードの交換だ。保証中でなければ20万くらい吹っ飛んでいた。くわばわくわばら。
1996年9月:
しかし、現象再発!今度は純正VRAMも交換。やっと直る。最近のRAMは信用できない。とくに某コングロマリット大企業のLSIは全く信用できない。
1996年10月:
新OSKT7.5.3導入。これまでのエラーがほとんど解消される。
以上、さらに8500とのつきあいは続く・・・・・。そして苦闘の道は「りんご日記」へ綴られるのだった....