「情報教育=コンピュータ利用の教育」ではない
熊谷市立籠原小学校 関根達郎
生きる力の育成や情報活用能力の育成の必要性が叫ばれている。しかし情報教育というとコンピュータを使って「コンピュータを使ってこんなことをしました」と言うような授業をやって、児童にはコンピュータの使い方を教えているようなことが多い。これは情報教育ではなくコンピュータ利用促進教育である。理科やその他の教科で、グラフ化やデータ処理、データ収集等といった情報活用を中心とした授業を行ってきている。情報教育が情報活用能力を育成する教育であるとするなら、今までの学習指導は情報教育だったのかというと、答えは「yes」である。ではいったいこれからの情報教育はどうすればいいのか。
コンピュータは情報を処理する機械である。コンピュータによって今まで人間が処理する能力を超えた仕事ができるようになってきている。そのためにたとえばインターネットというような新しい世界ができあがり、授業中に教室でひまわり画像を見ることができるようになった。電子メールで学校間をつないで情報交換ができるようになった。複数の学校にまたがる学習プロジェクトが可能になってきている。まさにこれらの様な変化はコンピュータによって変わってきているのである。もちろんfaxやOHPといった機器も情報機器であり、授業形態をかえるために必要な機械である。
こうした中で児童も質的に変化してきている。小さなころからコンピュータゲームや情報のおもちゃを操り、機械の操作に関しては教師より遙かにはやく習得し、使いこなす力を備えている。それも情報処理や情報とは何か、機械のしくみはどうなっているか、なぜ情報機器があるのかと言うことは、ほとんど疑問をもたずに成長している。教師達のように小さい頃、実体験をして、今情報機器にふれているのではなく、実体験なしに情報機器にばかりふれてきてしまっているのだ。いい例が高校生や大学生の携帯電話の使い方で分かる。小型万能のトランシーバーを手に入れて生活していることから、始終、携帯電話を気にした生活をしている。5分おきに着信をチェックし、落ち着かない。誰からも電話がかかってこないと孤独感を感じている。便利に使いこなすはずの情報機器にすっかり生活を変えられ、機械に頼る情けない姿になってしまった。その見返りとして某電話会社に、莫大な金が転がり込んでいる。残念なことに彼らには情報教育がなされていないのである。
情報教育を行うとき、教師は自分がコンピュータを使うことに苦労したために、それと同じことを児童に伝えようとしている大きな誤解がある。児童は学校でコンピュータなどを使えなくてもいいのだ。数年後、社会に出るときは今よりも優秀な機械があり、複雑なコンピュータ操作など覚えさせてもまったく役に立たない無駄な時間になってしまうからだ。また、携帯電話のかけ方を教えてもそれは役に立たない教育だと言うことを考えればわかりやすいだろう。
今、子どもたちに必要なのは実体験と情報の違いや、情報を処理するという発想、疑問をもつ力である。また、情報を鵜呑みにしない心や情報を上手に使って調べたり、表現する力も必要である。極端な話コンピュータを使わなくても、理科教育の中でも、情報教育は行うことができるのだ。
教育は人が人を育てる営みである。情報教育と言うからには、機械の使い方を教えるのではなく、人間として「どう生きていったらいいのか 」「なにを考えていったらいいのか」という視点で取り組んでいくことが大切である。情報と人間の関わり、情報とコンピュータの関わり、人間と人間の関わり、人間と自然との関わりといったことを教師が考えて授業することが大切である。それは今までの理科教育の考え方と、何にも変わりがないことが1年間の研修で分かった様な気がした。