ここではスティングレイが触れた過去のマシンついて紹介します 

1.TK−80
  NECが発売したボード型マイコン、当時はパソコンでなくマイクロコン ピュータ
  マイコンと言ってました。
  友人が購入して私の家に自慢しにきました。
  ほら!見て見て、今数字が動くからと興奮気味に話す友人を尻目に
  冷ややかな視線を送るスティングレイでした
  その後、朝までマシン語がどうのこうのと意味不明な単語を並べ
  嵐の如く去って行きました。
  これがスティングレイのコンピュータ初体験でした。
  この時、思ったのはコンピュータとは眠いものだと言うことです
  時は流れ現在、深夜インターネットで・・・うーん眠い
  そーかコンピュータの本質は眠いと言う事だったんですね。  

2.上記TK−80との第3種接近遭遇が1980年頃だったと思います。
  その数年後今度はMSXとの遭遇です
  たしか富士通のFM−7と言う機種だったと思いますが・・・
  これにより私の中でパソコン=ゲーム機と言う不動の地位を確立しました 。
  たしか、ハイパーオリンピックなるゲームにはまってしまい
  ただひたすらボタンを押しまくると言う
  肉体的に非常に疲れるゲームでしたが、もはやこれはスポーツだとの迷言 を
  はきながら朝までゲームやはり眠い

3.1985年NEC製パソコンPC−8801の購入

15年前のソフトですが動いています イースはダメでしたがイースUは動きました、当時のパッケージ
すべて揃ってます。やがて価値が・・・出る訳ないか


  1986年には76年ぶりにハレー彗星が来る訳でして、これは一生に一 度
  の事だ、なんとしても天体望遠鏡を買わなければとの思いから
  コツコツ貯金をしていました。
  30万ほど貯まり、いざ購入となり
  何がいいのか情報収集の為、書店へ行き天文ガイトを購入
  丁度その時、すぐ横がパソコン誌のコーナーで
  アスキーやPCマガジンが置いてありハレー彗星がどうとか言う見出しが
  目に入りこちらも購入
  中はハレー彗星や惑星の軌道シュミレーションよく解らないが
  何かスゴイぞ!
  更にNECはPC−VANにてハレー彗星の情報をパソコン通信で
  流す様だしこれは買うしかない
  天体望遠鏡のことは忘れてしまい、気が付けばパソコンとディスプレイ
  を購入していた
  パソコン通信は、お金がなくて音響カプラが買えませんでした
  後日購入予定がズルズルと月日は流れ
  2年後1200bpsのモデムを買いパソコン通信を始めましたが
  もっぱらROMでした。ちなみに現在でも動きます
  試しにゼビウスをプレイすると問題無く起動
  イースではディスクにカビが・・・動きませんでした。

4.1988年エプソンの98互換機PC−286VE購入

手前が88MR、奥が286VEです


  前年エプソンが98互換機を投入し、しかも安い29万8000円
  当時狙っていたNECのPC−9801VM2は40万以上した
  そして88年私は仕事の都合で岡山へ転勤に
  引っ越しの準備金として会社より頂いたお金で286VE購入←おいおい
  写真を見て貰えば解る様に、本体前面に鍵が付きキーボードのロックが
  できるナイスなマシンでした。
  そうそう引っ越しは無事、何事も無く完了しました
  初めての独り暮らしで少し寂しかったけど、何故か
  そう音楽が無い
  そんな訳で86互換のFM音源ボード購入をして
  休日は朝からゲーム三昧
  イース3や大戦略、シュヴルツシルト等にはまってました
  この年初めてハードディスクを購入SASIの20MBでした
  当時10万くらいしたと記憶しています
  また初めて単体のOSを購入 MS−DOS3.0です
  それまでOSは本体やゲームの付属品といった認識でした
  またNEC製のOSにはエプソンチェックなるプロテクトがあり
  互換機では動かない様になっていましたがエプソンは
  ソフトウェアインストレーションプログラムなる物を無料にて配布
  書き換えて使用可能となりました

5.1993年エプソンPC−486GRSuper

486DX2 50MHzです。


  またエプソンでした。
  同時にSCSIの150MB位のハードディスクも購入
  この時、私はMS−DOS3.3を使用、たしか3.3Cだった様な?
  たしかOSが127MBまでしか認識しなかったので
  その後MS−DOS5.0を購入
  DOSシェルを使っていました
  またエルフの18禁ゲームにはまってました
  そうそうWindows3.1も発売されました
  たしか3ヶ月遅れくらいでエプソン版の3.1が発売になったと思います
  わずか数年の間にパソコンも変わったなぁ
  しかし、最近思うのですがMS−DOSのコマンドすっかり忘れました( 笑)
  マザーボードのBIOS書き換える時ぐらいかな少し前までは
  こんな環境だったんだと思うのは
  後10年したらどんな風になるのか今から楽しみです。
  そしてこのパソコンで初めて筐体のカバーを開けました
  メモリーの増設でした
  4MBのSIMM2枚で当時5万円位したと思います
  今なら256MBのDIMMが買える
  また初めてCPUを載せ換えました
  486DX2から486DX4へ
  そしてWindows95の発売です

6.1996年4月P5−166マルチメディア購入

P54C 166MHz200で使用してました


  それまでゲートウェイのパソコンは平行輸入でしか手に入らなかったのが
  昨年、日本ゲートウェイ2000が設立国内でも電話一本で買えるように なった
  また、このマシンの購入と共にインターネットを始める
  そして私が、購入したすぐ後にPentium200が
  悔しいそんなとき会社の、渡辺さんよりメールが
  渡辺さんは私よりも早く牛飼いになっており、日本ゲートウェイ設立以前 に
  輸入しておりました。
  ニフテイのゲートウェイフォーラムで見たけど
  ジャンパー差し替えるだけで200で動くとの事
  早速実行BIOS画面には199の表示が、よしよし
  ヒートシンクを触ってもそれほど熱く無いしまぁ大丈夫
  しかし体感速度は変わらず本当に早くなったのかなぁと疑問を感じてまし た
  そして渡辺さんよりスーパーπの事を聞き
  ダウンロードしました結果は速くなっており大満足でした
  たしか104万桁が17分位だったと思います
  ちなみに486DX4のマシンで走らせたら1時間たっても終わらないの で
  やめてしまいました。
  現在の自作3号機PV600ではなんと3分25秒を記録
  すげーと思っていたら
  すでにスーパーπは2分前半の戦いではありませんか
  府野さん、近藤さんといった方々は液体窒素による冷却で
  800MHzオーバー
  マイナス195℃という液体窒素の極低温の世界で熱い戦いが繰り広げ
  られてます。
  さて過去のパソコンについてはこの辺で筆を置くとしますか
  尚、この文章はスティングレイの記憶を元に構成されているため
  事実と異なる部分や前後する部分があるかもしれません
  その際はご指摘くだされば修正いたします。