埼玉県立自然史博物館.自然史だより 第2号 1985.12
秩父における
鳥の調査とイワヒバリの思い出
清 水 古 寿
私が秩父地方の鳥類と初めてつき合いを結んだのは、秩父自然科学博物館(県立自然史博物館の前身)に勤務した昭和25年のことです。当時博物館では秩父地方における総合的な自然研究調査を、動物・植物・地学の3班に分れて行っていました。動物部門は須甲先生が中心となって秩父産動物調査団を組織し、よくフィールドにでかけ動物を追いかけていました。私もメンバーの末席に加えていただき、高田武夫さん(資源科学研究所員で著名なバードウォッチャー)に同行し秩父の自然に深くふみ入り、こんな鳥がここでこんな生活をしているのかと初めて知ることも多くありました。なお秩父の自然は、地形的にも植生的にも変化に富み、豊かな野鳥たちの世界をつくり上げていると共に、生態学的見地からも貴重な土地であることが改めて感じとれました。
さて秩父の鳥類が調査された経緯をたどってみますと、調査団が活動をはじめるまでは、本格的にしらべ発表された研究文献資料は殆(ほとん)どありませんでした。この恵まれた野鳥の宝庫も、研究者が足をふみ入れたことのない見落された空白地帯になっていたように思われました。このようなことを考慮して、高田さんとは、一先(ひとま)ず秩父産鳥類の生息種数と分布状況の実態把握をテーマに追跡調査を進めました。そして昭和33年頃までには奥秩父の亜高山帯から秩父盆地、さらに外秩父、上武山地の低山帯と秩父全域にわたって何度も歩きまわり、四季を通じての鳥類相と115種の生息を確認することができました。調査にはまだまだわからないことが多く、自信をもって公にするまでの研究成果をあげ得なかったのですが、秩父自然科学博物館研究報告書に秩父の鳥相と題して発表させていただきました。
今、あの頃の調査をふり返ってみますと、私にとっては秩父の鳥類や自然を知るには、最も充実し役立った時期だったと思っています。野外で出合った鳥たちには、オオアカゲラ、ハギマシコ、ミヤマホオジロなど埼玉県内では珍鳥といわれている仲間もおりました。なかでもイワヒバリの越冬地の発見などは、いまでも鮮烈に脳裏にのこっています。ここにイワヒバリについての思い出をちょっと綴ってみることにします。
昭和33年11月中旬、高田さんと三峰山から雲取山にかけての冬鳥調査と標本収集に出かけたときのことです。山はすでに冬の気配がただよい、野鳥の声や姿も少なく、しーんと静まりかえっていました。三峰神社から雲取山に向う山道を20分ほど行ったときです。雑木林を一気にかけおりた高田さんが、スズメより少し大きく地味な灰褐色の小鳥をうちおとし、私のところに少し興奮した顔つきで、「イワヒバリ!」といいながらもってきました。
当時、イワヒバリは本州中部以北の高山帯で繁殖し、夏には比較的目につく鳥でありましたが、冬季の移動や越冬行動などの観察例はなく、夏鳥か漂鳥か学会でも言わば幻の鳥になっていたのです。これを熟知していた高田さんが顔色を変えたのも無理ないことでした。
その後、私もこのような身近かなところに、日本で越冬未知のイワヒバリが飛来するのに関心をもち、三峰山にしばしばでかけてこの鳥の冬の行動を追いつづけてみました。イワヒバリについて神社周辺で聞きこみしたところ、方言でイワスズメと呼ばれ、冬は人目にふれ見慣れている鳥になっていました。私はこの鳥の冬の生息行動や飛来、渡去時における気温を手がかりに調査をすすめ、結果は博物館研究報告に発表させていただきました。
とにかく、イワヒバリはいろいろと謎めいた生態的課題を私に投げ掛けた鳥として、とくに印象深く、思い出も多いものです。
(しみず ひさとし・大里郡川本町在住)
筆者紹介
清水古寿さんは、秩父自然科学博物館(秩父鉄道経営)
から県立自然史博物館を通じ37年間、長瀞の名物学芸員と
して知られ、昭和60年4月に退職されました。
戦前・戦中から現在まで蝶の調査・収集、鳥獣の研究に
没頭し、宝登山にサル園を作るなど、動物を愛し、研究に
多大な実績をあげ、退職後も地元で精力的に調査研究にと
りくんでおられます。
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