弓道の背景にある日本文化
英文版・日 本 語 原 稿
Oct.,1996
松 井 巌
〒492-8213 愛知県稲沢市高御堂2―23―6
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目 次
.1.前書
.2.日本の弓道を学ぶ前提条件
..1) 道の考え方
..2)武道としての日本弓道
..3)礼の思想
..4)体験を中心とした修行形態
..5)和のコンセプトについて
.3.日本の自然条件と風土
..1)日本の地理的条件・自然
..2)日本人と風土
..(1)和を必要とする生活
..(2)自然を大切にして、自然に感謝する思想
..(3)木の文化と石の文化
..(4)縦社会と家の思想
..(5)恥の文化
.4.武道の中にある考え方
..1)武士道の考え方
..2)幼児期の武士道教育
..3)武道の精神基盤としての宗教観
..(1)神道
..(2)仏教
..(3)儒教
..4)弓道と宗教
.5.最後に
.1.前書
日本の伝統的な弓道が、欧米を初めとして世界各地で人気を博し、同好の士が増加している事は、私たち弓道を愛する日本人にとって非常に興味深く感じます。その一方では,伝統的な武道としての日本弓道の在り方・欧州への弓道普及の在り方に大きな責任を感じています。まず始めに私たち日本の弓道普及に関わっている者が、欧米の方達が日本弓道のどんな面に意義・価値を見出してみえるかの原点の問題を考えてみる必要があります。それらは、表面的な理解の仕方ではなく、西欧・東洋の文化ギャップを十分に考慮に入れて深く解析をしておく必要があります。弓道修練を志したその動機に対して、私たち日本人の弓道指導者層が、その内容を正しく理解し・西欧の人達に理解が可能な形で支援をする必要があります。日本人の立場・考え方の中からだけの情報発信ではいけないと思います。何故ならば彼らには、彼らの文化と歴史があるからです。日本ではこうだという押し付けだけでは、精神面を含めた日本弓道独特の良さを身に付ける事は不可能で在ると思います。互いの文化の底流にある固有のものを見極めながら、それらを咀嚼し、自国文化の中で消化する動き方がないと本当の日本弓道の普及に繋がらないであろうと思います。
一方において、日本弓道を表面的に眺めて、理解した積もりになって、西欧の文化の中へ取り込むことは極めて危険な事だと考えます。そこで展開されるものは、本来の日本弓道とは似て非なるものとなり、将来的には日本の伝統的な弓道とは違った弓道となるであろうと推察出来ます。特に注意すべきは西欧で生れ、西欧やアメリカで発展したスポーツの概念です。
スポーツ弓道と日本に伝統的にある武道弓道とはその目的とする所が違う事です。射技を中心として的中の技術としての日本の弓道の考え方・形を伝える事は、それ程苦労の要る事ではなかろうと思います。しかし、精神面を含めた武道としての弓道となると、文化の底流にある理念や目的を文化の違いの中で正しく理解されないと伝達出来るものではなく、武道精神の源流を紹介する文献が少ない事が一層伝統的な弓道を理解する機会を失していると思います。
西欧には、日本の弓道に対してアーチェリーがあります。日本の剣道に対してフェンシングがあります。柔道・相撲に対してレスリングがあります。これら西欧のスポーツと、日本の武道との間にはどのような所に本質的な求める理念の違いがあるのでしょうか?ここの本質を解明しないと西欧の方が満足する日本弓道は見出せないでしょう。 又若しその本質的な違いを理解する事が出来たならば、西欧の文化・価値観の中で見出せなかった新たな世界が開けるでしょう。
折角志しを立てて日本弓道を学び始めても、日本・西欧の文化ギャップの挟間で、表面的に見る日本弓道を西欧流の価値観で理解することにより中途半端なものに成ってしまう事を一番心配する者です。日本の伝統的な価値観の中での日本弓道を学ぼうとしている人は、日本の武道の背景にある基本的な考え方を理解することにより、より正しく・より本質に溯る武道の修練をする事が出来・参考とする事が出来れば幸いと考え、この小冊を纏める事と致しました。
私は、これらの問題を少し大袈裟かも知れませんが文化論の立場から紐解きたいと考えます。それは、日本の歴史を経由して出来た武道は、日本の文化の中で生れ・育って来たという現実の問題が在り、必然性があるからです。
そしてそれらの問題は弓道だけに限定された事ではなく、他の武道・芸能などにも共通した問題ではないかと思います。楽しむだけではなく、人格の完成という大きな目標を持つ武道・芸道の修行においては、個人として社会人としての人格に求める期待の内容の違いが生活に根づいたものであり、自然条件の中で生活する社会環境の違いにより当然違いがあるから、日本で生れた武道・芸道には当然日本の価値観の中で生れ育った物が在る。日本の社会で価値が認められても、異なった文化の価値観の中では適応出来ない部分もあろうかと思う。
しかし、私たち武道・芸道を世界に普及に普及することを喜んでいる者にとっては、紀元前に生れた孔子や釈迦などの哲学が現在においても追い求める永遠の課題であり、それは地域・時代を超越した真理を秘めている事と、何千年にも亙り同じ場所に住み続けてきた人間の積み上げてきた生きる事に付いての考え方・体験の累積の価値を認める所に内面からの自信を感じるのが心の支えです。
それ故に海外の皆さんに望む事は、日本の武道・芸道を学ぼうとする時、自国の文化の上でそれらの価値観を測ろうとするのではなく、先ずは日本の文化の背景を理解しその上で、善き師匠の元で学び、日本の価値観の上で日本の武道・芸道の意味・価値を理解し、その上で自国文化への昇華を検討されたいと願います。
それらは、日本人にとっての西欧文化の導入してきた歴史の中でも感じる事が出来ます。それらの思想・手法が発生し、育ってきた文化的な背景を理解し、その上でそれらを理解する時、本当にその意義・価値をしることが出来、導入された文化もその輝きを持って日本文化に同化してきたのです。
しかしながら、私は日本文化を語る専門家でもなく、弓道を趣味として取組む中堅の指導層でしかありません。従って、どこまで表現しうるか疑問な面が在りますが、今までの欧州の弓道人達との接触の中で、私なりの弓道の背景にある日本文化論を展開したいと思います。
私と欧州弓道との関わり合いは、1986年以降のもので余り長い年月が経過しているとは言えません。また、地域的にも非常に限られた国との連携であり、広い欧州全体の中での文化比較と言う訳にも参らない事を予め申し上げて置きます。欧州で日本の弓道の紹介を通して私が感じている事は、やはり欧州の人には理解のしにくい日本独特の考え方があり、それらは伝統的な日本文化・風習が投影されている事を感じます。この問題は、弓道に限った問題ではなく、日本の他の武道や芸道を習う時にも同じ問題であろうと思います。弓道の背景にある日本文化は少し範囲を広げれば「武道」の背景にある日本文化となり、更に範囲を広げれば日本の「芸道」一般の背景にある日本文化という課題に広がりを見せます。私は、それらを視野に入れて約10年間に亙り諸文献を読み、私なりにその論旨を1993年に小冊に纏め上げました。その間、欧州の弓道人への指導・紹介をこの小冊の論旨に沿って実践し、彼らの理解の仕方及びその後の修練の軌跡から考えて、私の期待していた成果に結びついていると判断し、この程度の事を理解していれば大きく理解を違える事はないと言う検証が出来たと考え、浅学非才を省みず勇気を出して皆様に紹介したいと思います。
ただ私は、上にも紹介しました通り、文化比較論や人文学の学者ではありませんので、私の狭い経験・感性の中から纏めたものであり、ご批判を受ける部分も多いと思いますが、弓道を40数年に亙り実践してきた私の実感に支えられた考え方として、ご理解を得たいと思います。合わせて、色々な識者の参考文献から学んだ所も多く、この小冊の中でも資料として引用させて頂いている事を予めご了承を得たいと思います。
私が弓道において接触を持って来た欧州のグループは、イタリアのローマのグループと、オランダ全土の弓道グループが全てです。両者とも日本弓道を学ぶ姿勢および理念は、非常に純粋であり高貴であり、本質に直接迫るものであり、ある意味では日本人以上に日本的であると言えるでしょう。大変に理念が高く・真摯で真面目な取組み姿勢であり、私自身が学ばされる所が非常に多くありました。合わせて彼らの質問に回答する立場で多いに勉強する機会を得ました。彼らの質問に答える形で夫々を英語の資料として纏めて来ましたが、それらを包括し更に深く理解する為に「弓道の背景にある日本文化論」を纏める必要を感じていました。その中に従来作成してきた個々の論文を位置づけたならば、一層よく理解出来るであろうと思っています。それが、この小冊の立場であることをご紹介しておきます。
今まで作成してきた資料とは、「弓道における礼」「十牛図」「弓道と儒教」「女性と弓道(増田美和栄先生の手記の翻訳)」「尾州竹林流四巻の書第一巻 初勘の巻(魚住文衛先生著の翻訳)」「弓道の基本」「基本技のチェック方法」「弓道段位別指導要領」「唐沢先生の弓道読本から手の内(翻訳)」などですが、これらの中でも既に日本的な物の考え方を紹介していますが、根底にある日本文化を考えるキーポイントを理解するする事により一層理解を助けると思います。
これにより、既に一般に販売されている日本文化に関連する書籍を弓道の立場からより適切な本を選択する事も可能になるでしょうし、更に深い理解に向けてのトリガーに成り得るのではないかと言う期待を込めています。
日本の弓道または武道を本格的に学ぼうとする時、西欧のスポーツの概念で理解しようとすると大きな間違いを起こします。その目的とする所が違うからです。その目的を正しく理解されていないと、武道とは似て非なる所に辿り着いてしまいます。武道は、武家社会における最高の階級である武士の道であり、彼等は社会の模範である必要がありました。そして市民は移動が出来ませんでした。国の周囲は海に囲まれ、内部は山と川に囲まれているからです。
日本には、日本の成り立ちの経緯があり、歴史があります。それらの中で生活に定着し、日本人の共通認識となっている色々な考え方が在ります。それらの内で、弓道修練の折りに必要となる考え方があります。それを西欧の文化で幾ら理解しようとしてもそれは不可能でしょう。それらの経緯・背景を理解して、日本人の社会にはこんな考え方・価値観が在るのかと割り切って、理解する以外に無いでしょう。
それらの前提条件と言うか、共通的なコンセプトと言うか、日本人がある意味では当然と考えている所を前提条件として理解をしておいた方が、早く馴染む事でしょう。
それらについて先ず考えてみたいと思います。
一番始めに「道」の考え方について、述べたいと思います。
弓道を初めとして日本の武道には、例えば剣道・柔道・空手道・合気道などと「道」と言う言葉がついています。武道自体が武の道と書きます。そしてこれは武道に限ったことではありません。文化的な物にも道の名が附いています。お花の生け方を学ぶ華道、お茶の作法である茶道、お香の香りを楽しむ香道などにも道の言葉を付けます。
「道」と言う言葉には、それを学ぶ事を通して「人としての正しい在り方を学ぶ」と言う意味があります。天道と言って、天に繋がる道という考え方も込められています。天とは天国と言う意味ではありません。天に住む神がされている人間としての理想の生き方の道の意味です。天は仏教の仏陀と同じ様な意味を持っています。
武道や文化的な芸道では、それらは初歩の段階から天の段階まで修行の為に道が連続的に繋がっており、また技術的にも段階的に様式化されており、修行の段階でそれぞれ人の在り方・道筋を学び、自分自身を高める意味があります、即ち在るべき姿として何が示されているかを正しく理解し、正しい事と・誤っている事をしっかりと識別して、正しい在り方即ち正しい道を、正しい方法で学ぶ事を要求します。
日本では、武道・芸道などと呼びますが、それらは単に相手を倒す技術を身に付ける事や、形の美学を学ぶだけではないのです。正しさを学び、正しい事を何処までも取組み、身につける工程があり、そして人間として在るべき姿を求めて完成させる道なのです。それを修行といっています。此処で言う道と言う考え方は日本では古い時代からあるのです。
弓の道においても、弓を射る技術を言うのであれば「弓術」でよいのです。それを「弓道」呼ぶと言う事は、弓術とはその求めるものが違う事を意味しています。学ぶ目的が違う事を指します。道と言う考え方も突然現れたのではありません。多くの人が、同じ所を歩む中から、善い者は残され、悪い所は取り除きながら、淘汰に淘汰を重ねて、えりすぐったものが道として、現在に伝承されている内容となります。それらは、常に社会性を反映していて、当然の事として「人としての在り方」「人として在るべき姿」を反映しながら、組み立てられて来たと考えられます。
今、道の意味について別の面の経験と道と言う観点から考えてみましょう。
目の前の一本の道について考えてみましょう。そうです目の前を通っている道です。人が歩み・荷馬車が通り、車が走っているその道です。この道も突然出来た物ではないでしょう。初めは草原であったかもしれません。石ばかりで歩くのも大変な所だったかもしれません。しかし、ある所へ行く必要があった人が勇気を出して歩んだ事でしょう。そして、その成功を聞いて次の人も歩いたでしょう。途中で危険な場所は、通る所を変えて、より安全で、より景色の善い所を見付けて歩んだ事でしょう。時には途中で休憩する場所も求めたでしょう。そしてそれらの道は、どんどんと遠くへ行くようになった事でしょう。
この様に多くの人に踏み固められて1本の細い道が形造られていった事でしょう。
どんな道にも歴史が刻み込まれ・多くの人が歩み本当に意味のある・価値のあるものが道として使用され続けてきました。このような「道」が出来てきた経緯・出来上がった一筋の道の存在理由・必要性などは、洋の東西を分かたず同じで在ると思います。
それらは、陸の上だけではなく、海の道も、空の道も全く同じ事であると思います。
この様に、道には多くの人の尊い経験の積み重ねがあるでしょう。
日本の文化において、「道の思想」は室町時代に花咲きました。
道の考え方は、人の生きる事・生活をする事の意味を深めました。そしてそこには、宗教の考え方即ち神道・儒教・仏教などの日本文化に多くの影響を与えた思想も取り込まれ、単なる経験の体系化のみではありませんでした。
13世紀から15世紀の日本は、鎌倉時代・南北朝時代・室町時代と続きますが、この内鎌倉・室町時代は武家による政府であり、南北朝時代は天皇の政府の時代となります。武家の室町時代は、天皇に親しみのある時代となります。特に室町3代将軍の義満は貴族文化に憧れが強く、貴族文化の香りのする時代となりました。国民は長い年月に亙る戦国時代の苦難の時代を経て、人々は疲弊しきった中で、誰もが平和を望み・期待をしていた事でしょう。武家の文化と宮廷の貴族文化が、接近し、融合したのがこの時代です。ですから、武家や町民の文化は、その様式や行動の手順などが体系化される様に為ってゆきました。そして精神的な規範・基準がその中で明確になりました。
それぞれの道に共通した性格は、簡素であるが本質的であり、簡素の中に美を持ち、他に対する思い遣りであり、自然との一体の思想などがあることです。
ここで、私はこの時代に花咲いた日本の伝統的な文化である「華道」と「茶道」の考え方について、日本製鉄人材開発室の編集による「日本 その姿と心」から掻い摘んで紹介したいと思います。
生け花と呼ばれる華道では、自然の侭の素材と姿を重んじ、時代と共に自然の素材を用いながら、構成に当たっては理念的な意味づけが行われる様になりました。すなわち、生け花の基本となる枝を天(宇宙)・地(地球)・人の3本とし、これらが調和の取れた大自然を表現するようになりました。そして茶の湯と呼ばれる茶道では、内面的に形よりも心を重んじ、自分を空しくして、客をもてなすのが茶道の心と言われます。茶室(茶をもてなす為に造られた専門の部屋)、露地(茶室の庭)、懐石料理(茶席で出す簡単な料理)、茶道具の取り合わせなど、全てに客を迎える主人の細心の注意が払われます。茶会の客に初めて招かれた場合には、茶道の礼法を知っているのに越した事はないが、客として最も大切な事は主人の心遣いに対する感謝の気持ちです。
このように華道や茶道の礼儀作法の基本的な思想は、武士の礼法や能の影響が見られます。それらの精神的な支柱として禅があり、儒教があります。茶道や他の文化には、伝統的な日本人の習慣や礼儀作法が強く反映しています。内面的な精神としては、茶道の手順や形式よりも思い遣りを一層重要視しており、この茶会の精神として自分を無にして客に尽くす主人の心があります。
私は、室町時代が日本の独自の文化を花咲かせるのに最も重要な時代であったと思います。この時代は、非道で苦難の時代を経由したからこそ、人は「人としての在るべき姿」を熱望していたであろうし、そして道の思想が、武道や芸道を通してそれぞれの分野で花咲いたものと思います。人々は、それぞれの階級に応じて「人としての在るべき姿」を希っていた。その為には仏教や儒教の影響が強いインパクトを与えたと思います。
理想的な生活を求めて、人々は強い意志と一歩一歩の着実な実践というそれぞれの道を通して修行をし、そして修行の態度が日常生活に定着し、日常生活を香り豊かな生活に変えていったでしょう。その為に人々はそれぞれ努力を注ぎ、自己の人格を磨きました。
人々は、自律的な行動を通して、人間として少しでも在るべき姿に近づく様に歩む道・方向を指し示しました。
この平和を求め、人の在るべき姿を描くのは、何も日本に特有な事でもないでしょう。
どこの民族でももっている理想的な、在るべき姿として描いているものと大差ないと思います。日本だけに在ったと言うものではないと思います。
ただ日本において特徴的な事は、後にも述べる閉鎖的な地理空間の中にある日本においては、個人として・社会人としての「人の在り方」が絶えず考えられ続け、求め続けられてきた必然性がある事でしょう。周囲には早い海流を持つ海または大海を持つ島国という閉鎖的な環境、そして国土の7割近くが高い山に囲まれ、山間には流れの早い河川が流れ、それらの中に自然に造られた閉鎖的な地形は、大陸文化と異質なものを造り上げるでしょう。
私たちが、日本文化の源流を考えようとする時、今から2000年以上まえの独自文化の時代の縄文時代と、ここ2000年位の弥生文化に別れる事を認めます。弥生時代以降の私たちの文化は、古代のインドおよび中国の思想や文化のアジア大陸の文化に影響されています。
そしてそれらはインドにおけるリグ・ヴェーダやウパニシャッドそして仏教の影響であり、中国の儒教・道教などであります。オリジナルなインドの文化は、自然(梵)と人間(我)が同じ摂理で制御されており、この二つの世界は呼吸のエネルギーにより循環し結合しており、人間は大自然の一部を構成していると言う思想です。
この哲学は、紀元前8世紀頃から始まるインドの「梵我一如」の思想や、その影響を受けた中国古代の「天人合一」の思想に辿り着くことでしょう。中国の古代の哲学は、神は天に住み、皇帝は神の子供であると言うものです。それ故に地上に居る人間は天に住む神の生活態度を見習わなくてはならないと考えます。従って地上に住む人間は、天にまします神と合一する事を願うのです。中国における天にある神の思想は、インドの仏陀の思想と日本においては同じ様に見られています。人は精進し、神または仏陀と合一したいと言う考え方が日本人の基本的な考え方の中にあります。
これらの仏教や儒教は、中国・朝鮮を経由して日本に紹介されたのが西暦500年頃になります。それらが、日本において武士道などと結びついて「道の思想」に繋がっています。
中国においては、天の思想を基盤として「道の思想」が発展しました。
これらの日本の文化に非常に強い影響を与えている仏教の釈迦・儒教の孔子が、共に紀元前5世紀頃に続いて生れていることは興味のある所です。もっと言うならば、長い人間の歴史の中で紀元前5世紀から紀元までの500年位の間に、世界の宗教の仏教・儒教・キリスト教などが中近東・アジア地域にて次々に生れている事は、興味深いものがある。しかし、それ以前にインドの長い哲学の歴史があります。そして私は、植物が旺盛に茂る自然の恵みの豊かな東洋で生れたこれら思想の中では、人間の位置づけを自然の一部であり、天上界に住む理想的な人の姿として仏や天の思想があることが非常に特徴的であると思います。
儒教で人間の在るべき姿・人の理想の姿は、「仁」と現します。仁は、人が二人と書きます。人が二人以上揃った時に、為さねばならない心遣いすなわち気遣い・気配りが仁の基本的な思想となります。これらの「人としての在るべき姿」の思想は、閉鎖的な空間に住む日本人の人間関係の在り方と非常にミートします。様式化された武や芸を極めた理想的な形の中に、人としての在るべき姿を投影する。名人・達人とは、単にその技を極めるだけでは認められない。人間としても完成されている事が求められます。人間としての完成された姿と技術の完成された姿の両方の理想の形が、道の終着点としてあります。
仏教の世界では、完成された人間の姿として仏を考えます。
人が修行をして、菩薩となり、如来となり、仏となる。この修行の道程を段階を分けて修行道としました。例えば、空海の真言宗でいえば、秘密十住心として、獣と同じ心のレベルから、仏の心の十段階を示している。これらが、武芸を通して修める心の道筋でもある。
皆さんが行う日本の武道の目的が、競技で競い勝ち負けを決める事であるならば、それは武道とは言わずスポーツ以外の何物でもないでしょう。「道の思想」の上にある日本の武道においては、競う事は手段でしかなく目的ではないのです。目的とする所は、人間として在るべき姿に少しでも近づこうとする「心の修練」です。その為に、礼の思想があり、真善美の理想があり、反省学としての性格を持ち合わせるのです。
上の章にて武道と言う言葉を多く使ってしまいました。道の思想の中に武道があるから何の説明も無いままに武道と言う言葉を使いましたが、弓道の場合はどうかもう少し具体的に考えてみましょう。
日本の武道を考える時に、最も根元にある考え方は「修練の目的」に現されます。
闘う芸術である以上、武道も相手に勝つ事に大きな意義を置いている事は事実ですが、それのみではありません。否それ以上に「正しい心により、正しい方法により、勝利する事」が要求されます。その思想は、相手に勝つ事から、自分自身に勝つ事を要求する方向に代わってゆきました。弓道を初めとした武道は、確かに戦乱の中で相手を倒す技術として出発しましたが、戦乱の世の中が去り、侍と言われる武家が政権を握り支配する世の中に移り、武器を持つ事の許された唯一の階層としての武士層が、自らを律し、人格を向上させる人の修める道として「武士道」を確立し、武道の在り方を戦場の相手を倒す技としてのものから内容を変化させてきました。
例えば、弓道においても的中を競うと言うだけの目的ならば、的中を得る為には手段を選ばない、より的中を正確にする為に弓や矢に細工をすることでも許されるかも知れない。しかし現代弓道においても、狙いの照準を印す事を禁止しています。矢を番える場所を印す事も禁止しています。握り皮のしたに指が引っかかりやすい様に細工をする事を禁止しています。的中を確実にするこれらの工夫は、一切禁止されているのは何故でしょうか?それは、弓具を正しく使いこなす事により確実に的中を求めるセオリーがあり、細工をする事により、本来修練により身につけなければならない技が隠されてしまうからです。日本の弓は太古から飛び道具として弓を使用しながら、その形は上が長く下が短い、また矢を弓の右に乗せ、矢をまっすぐに飛ばす為に角見という一種の捻りを弓に加えて、親指に乗せた矢の位置に弦が変える技術を使って、矢を真っ直ぐに飛ばす等、的中という面から考えれば非合理の侭に改善することなく発展してきました。
的付けについても、自分の修練している技のレベルからすれば、矢が一定の方向にずれる傾向が在るかも知れない。この時に的中を得る為に狙いを変えたら、的中率も当然上がると思われます。しかし、武道としての弓道ではこれをすることを固く禁じています。それは何故でしょうか?狙いを変えて的中を求める態度を取ったならば、日本弓道の一番大切な部分が無くなってしまうからです。日本弓道では、「正しい方法により、正しく弓を射るならば、必ず的中する筈である。但し的中を得たからと言って正しい射の結果として的中したとは必ずしも言えない。」という基本的な考え方があります。従って、「的中を得ないのは、自分の技・又は心の何処かに基本と違った所が存在する」と考えるのです。この反省の上に立って、自己を高めるのが弓道修練の一番大切な部分です。
弓道人にとっては、矢の飛んだ先は大変に重要な意味を持っています。
自分の最善を尽した結果が、矢の行き着いた場所になります。矢の到着点は自分の射の結果であり、その事実は厳粛に受け止めなければなりません。その結果を受けて、自分の技・心を反省し、自分の射技・心の向上に向けて努力する事を繰り返すのです。真実を求めて自分と闘う姿がそこに在ります。従って、狙いを変えて的中を得ると言う事は、自分の射技・心の欠点を隠してしまい、自分が反省し・向上する課題を隠し・失ってしまう事となります。これでは、弓道を修練する意味が無くなってしまうのです。
武道弓道の一番重要な点は、基本に則って最善を尽くし、その結果を冷静に受け止めて、自分自身を反省し向上する糧にする。それの繰り返しにより、自分の人間性を鍛え・向上させるのが日本弓道が求めている最も大切な部分です。それ故に、的を自分の技・心を映す鏡と見立てる考え方が生れます。日本の弓道を「反省学」と定義することも出来ます。
反省の無い人生には、向上ガ無いという厳しい現実を実践を通して学ぶのが日本弓道の重要な一面です。狙いを変えて的中を得ると言う事は、結果を欲しがる自分に負ける事であり、世の中の表面的な名誉を求める小さな自分の器・心を認め、卑しい自分の考え方を認める事となります。しかし、人間である故に人並みな世俗的な甘い評価を得たいという欲求に負ける時も在ります。仏教でいう煩悩です。これらを繰り返し繰り返しの修練を通して乗り越えるのが弓道の修行でもあります。
他人の心を胡麻化せても、自分の心を胡麻化してはならないのです。
私は、ここで武士道の意味について前記の「日本―その心と姿」を引用する事により、より一層はっきりと説明する事が出来ます。以下に紹介します。
武士道は、鎌倉時代から発達し、江戸時代(1603年―1867年)に儒教的思想に裏付けされて大成した武士階級の道徳体系です。忠誠・犠牲・信義・廉恥・礼儀・潔白・質素・倹約・尚武・名誉・情愛等を重んじます。武士が、支配階級になる前、専ら戦う事を職業としていた時代、死を称える考え方が大きな比重を占めていた。これは、平和な江戸時代にも残り、佐賀藩では「武士道とは死ぬことである」という思想(葉隠精神)が強調されたが、これは日本の武士道の全体系の中の一部の考え方です。武士道の特徴の一つは、名誉であり、尚武です。即ち、相手に勝つ事です。勝つと言う事は、ただ単に力づくで他者を圧倒することではありません。自分自身に勝つ事によってのみ、他者に勝ち得るという精神的な構造の錬磨をも含みます。強さは、自己に勝つ時に形成されるものであり、それは他者を精神的に圧倒し、他者から一目置かれる精神的高さの表現でもあります。この様に精神的な強さを表現することの一部として、礼儀が重んじられて来ました。
ヨーロッパの騎士道は、キリスト教の影響を受けて発達し、勇気・敬神・礼節・廉恥・名誉・鷹揚などの徳を理想としています。騎士道は、この様に武士道と多くの点で共通点を持っていますが、主従関係が契約的性質を持っている為に、この点で日本の武士道が絶対的忠誠を重視するのと異なります。
この様に、日本の武士道の考え方の中では、社会の中で自分に科せられている道徳的規範・倫理的規範は、人が見ていようが・いまいが関係のない事であり、あらゆる誘惑に打ち勝って正しい行動を、如何なる時にも取れる強い自分自身を築き上げる事がもっとも大切です。刀を持つ事を許された唯一の階級としての武士が、自分自身を律する事が出来なくなったならば、その社会は既に崩壊を始めます。これらの「自己規範」「自律性」「克己」の考え方が武道としての日本弓道の最も重要な点で在る事を先ず理解をして欲しいと思います。自分自身を鍛える事を目的とする武道と、勝利を得る事を目標とするスポーツの考え方の一番重要な所がここに存在します。
たしかに日本の弓道は、近的では28m・遠的では60m先に的を据えて、それを狙って矢を放つのですから、物理的には同じ場所から、同じ道具を使用して、同じ人が弓を射るのであるから、同じ所に矢は送り届けられる筈です。ですから道具をよく管理して、射技を固めてしまえば、同じ所へ矢を送り届ける事は可能でしょう。競技または戦乱の世の中の弓術であれば、それが重要な修練の課題であった事でしょう。基本に沿って修練を重ね、射技が安定する事は非常に重要な事です。
その結果、矢所が定まる事が、重要で在る事は申すまでもありません。しかしそれだけに満足していてはいけないのです。力学的な力のバランスによって的中する弓には、技能だけで精神的な深さは何も求める事は出来ません。技能としての弓であり、人間性の尊厳さはその中からは表現されません。
この様な弓道の求め方は数年もすればきっと行き詰まりを覚えるでしょう。
一生掛かって求める「道としての弓道」とはかけ離れた存在となり、日本の弓道の醍醐味・真の面白さには永遠に到達出来ないでしょう。
弓道教本には、弓道の最高目標として「真・善・美」が掲げられています。
的中の確実さの他に、射の評価として強い矢飛び・軽い弦音(つるね)・全体の美しさも合わせて求められます。簡単に言えば、真は、偽りのない射です。善は、不争の精神です。美は、体配・射の美しさであり心の美しさです。繰り返しの修練の結果得られる無駄の無い自然の動きの連続の中から生れる美です。詳細には、弓道教本の記述を参照されたいと思います。これらが、単に射技を高めて的中率を正確にする事だけを求めていない事は明白です。和平を求める心や、調和の美を求め、真実の弓を掲げるのはこの事を示しています。
次に日本の武道・芸道を学ぶには「礼の思想」を理解しておく必要があります。
日本では、武道をよく「礼に始まり、礼に終わる」と言います。武道共通に礼を重んじます。礼とは、相手に挨拶をするという形式的な物だけでは有りません。礼の思想は、人間同士互いに尊敬し合って、尊重しあう中で自然の内に発生する形であり、その心が形に現されたものと言えます。地球上の何処の世界にも存在するものです。
しかし、日本における礼の思想は、神道における儀礼・祭礼の思想の上に、中国の儒教の精神の中から生れた礼の思想・形式を加えて作り上げています。
儒教の中では、日常生活の礼儀作法から、国を治める天子の祭典における礼儀作法迄、3000種類に亙り事細かな礼儀作法が、「礼記(らいき)」という教典に示されています。
しかも、儒教における礼は、理屈の上から考えたものではなく、日常生活の経験の積み上げの中から形作られてきた事が重要です。
礼は、社会の人間関係の潤滑油として、人間関係の心を形にしたものと考えて善いでしょう。そして、それらは形のみを現せば善いというものではなく、心が伴っていないと失礼になると言う一面がありますので、その基本的なコンセプトが理解出来ていないと、自分では礼を尽くしている積もりが、実は失礼に当たる事だってある訳で、注意をしないといけないと思います。基本的には、如何に相手を慮るかの気遣いから始まります。
自分の都合で行動する時に礼に外れる事が多いので、その点注意されたいと思います。
後程紹介する「和の精神」とも密接な関連を持っています。
儒教の49編から成り立っている「礼記」の中の第46番目に「射義編」があり、これが礼記射義の出典です。ここでは、射における礼を広く捕らえており、射会の前後の礼儀作法も詳しく述べています。決して道場内における立ち居振舞いの体配の仕方についてのみ記述しているのでは無い事に注意を戴きたいと思います。詳細には、私の別の小冊「礼記射義・射法訓の解説」「弓道における礼」を参照されたいと思います。
日本の弓道は、長い戦乱の世の中を通して、射術に優れた多くの名人・達人の教えを伝承しながら夫々の流派を形成してきました。それらは、流派の外に漏れない様に秘密の伝承事項として秘伝・口伝と言う伝承の形態を取って来ました。そして、それらの伝承されてきた考え方・技の多くは共通点を持っていました。それらが整理され基本技として「射法八節」として定められています。何れの流派も、数多くの実戦の体験の中で生み育てて来たものであり、また単純な道具の弓矢であり、その伝承された技術に共通点が多かったのは当然の結果であろうと思います。
そして現代においても、弓・矢・ゆがけなど道具類について基本的な条件の変化はありませんので、射技については伝承内容がそのまま基本として現代に生きています。
ここで私たちが考えなければならないのは、これらの射技の基本が、何百年にも亙る生死を掛けた戦いの実戦の中で淘汰され、現代に伝承されている事実です。また流派の技術を他に漏らさない為に、客観的に第三者に伝えられる様な形でそれらの射技が残されていないという事実があります。
現代の私たちには、弓矢を持って生死を掛けて戦場で戦う事は既に出来ません。従って、これらの基本に優る基本を実証する場はないということです。何せこれらの射技の基本は、何百年にも亙る体験の累積の中で育まれた技であるからです。それらは、例え科学的に合理的に説明が出来無くても、豊富な体験に基づいた事実であり、忠実に実践しなければならない。射技の指導についても、昔から「見て技を盗め」と教えました。
師匠が事細かに説明をして技を教えるという事を致しません。また弟子が教えを乞うた時に始めて師匠が教えるのです。
日本の芸道を学ぶ時に、西欧の科学的合理性の物の考え方をすることが、災いすることが多い事を留意しなければなりません。科学的合理性の考え方は、広く真理を理解する上においては非常に優れた方法ではありますが、その根本には科学的合理性の思想に基づく法則性の確立と、それをする為の検証の仕組みが必要となります。即ち特定の条件の中における現象から仮説を得て、それを一般の広い条件下で、その仮説が成り立つ事を実験等の方法により具体的に証明し・理論化する工程です。
これらは、経験を共有しない人達に説明する方策としては有利で在る事は疑うべくもないでしょう。また普遍性を持った・説得力のある方法で在る事は間違いないでしょう。しかし逆に言えば、法則性を明確に立証できないものは、例え事実であっても科学的合理性の範疇から除外されるという一面があります。理論化された公式は、一定の条件下で、一定の刺激を与えると、同じ結果が得られるから法則性となるのです。その為に、科学的合理性は、人間の心以外の自然の現象に対して適用されてきました。
従って、日本の芸道の様に、技術と人の心が密接に関係し合って、技術の結果を求めるだけに止まらず、芸術性や美など人間の情緒性・心の状態までを含んだものとしている対象では、当初から科学的合理性の範疇を越えているのです。科学的合理性の範疇を越えた大自然の不思議はどれだけでもあります。そこには事実があります。この事実に対して敬虔な態度で接する必要を日本人は、経験的に感じているのです。
豊富な体験を通して体得された感性の中には、優れた真理が多く存在することは、東洋特に日本の文化を考える時に非常に重要な考え方となります。その最たるものが、禅でしょう。経験の上に積み上げられる人間の鋭い研ぎ澄まされた感性・直感により、事の本質に迫る思考法は、西欧の人には理解しにくい所であろうとは思いますが、複雑な自然の環境と変化しやすい複雑で微妙な自然の中での、法則性は極めて限定された条件の中で再現される宿命があります。
例えば、弓道においても足踏みを考えて見てください。平地が極めて少ない日本において、野外での闘いでの足踏みは、道場の中の平坦な場所とは全く条件が違います。山の上に向って射る時・山の上から下に向って射る時、山から駆け下りてくる敵に対する時、山を駆け上ろうとしている敵に対する時、大きく揺れる舟の上から敵を狙う時等など色々なケースの中での足踏みを考え、その場で最適な足の踏み方をしなければなりません。それは、一度日本を訪れ、山間部を車で走った人には容易に想像がつくと思いますが、経験こそ技の全てとなる事が理解出来るでしょう。
これの地形や気象の変化などの自然環境の中で、日本人に体験・経験を非常に大切にする文化を育てました。自然と人間との関わり合いについての宗教・哲学の違いにも成ってきております。日本人にとっては、科学的合理性で説明可能な現象は、森羅万象の極く一部にしか過ぎないと考えざるを得ないのです。
従って、科学的合理性だけが真実ではないと言う事です。科学的合理性で説明可能なものは、事実でしょう。しかし科学的合理性で説明出来ないから事実ではないと言う結論には至らないと言う事です。科学の過信は、人間社会を不幸にします。
その点、科学的に説明が出来なくても、現実に目の前に存在する事実は信じる以外にはないのです。うまくその事実を説明出来ないと言うだけの事です。
このように、西欧の科学的合理性に基づく普遍性を求めた考え方の上にある西欧文化と、体験・経験を尊重し非科学的な現象も事実として大切にする日本の文化の特質を理解して、先生の指導を受け入れる事が必須に成ると言う事を予め知っておいて欲しいのです。
一方日本において、科学的合理性の考え方が全く育っていなかったかと言えば決してそうではないことも序でに理解しておいて欲しいと思います。例えば、鎖国の江戸時代に神社仏閣に奉納された和算幾何学は、楕円や円に関する問題が多くありますが、西欧の数学が導入される以前に三角関数や代数・幾何などの数学が育っていた事実があります。和算を世界へ紹介されたのは、世界的幾何学者のDan Pedoe博士であり、カナダの数学問題解法雑誌”Crux Mathematicorum ”ですが1984年の12月号に和算幾何学を特集掲載し、世界の話題となった事実からも明らかであろう。
しかし全体的には、豊富な体験の中から一定のルールを見出すという「数学的帰納法」的な合理性が日本人の特技とする所です。これは、変化しやすい日本の自然との関係が非常に強いと私は理解しています。西欧の科学的合理性の思考が、自然の条件の穏やかな地中海沿岸地方において自然を観察する中から自然の摂理・ルール性を見出し自然科学としての天文学や数学を発展させ、キリスト教の普及と共に、万物の創造神の作り出したものを科学的合理性により検証し、神の力の一層の完璧性を証明する活動の中で科学的合理性の思想を一層進展させ科学工業の世界を築いたのと違い、複雑で変化のしやすい日本の自然は、地域毎にセグメントされた独特の体験からくる伝承を積み上げた。
現代の思考法からすれば、非科学的と称される独特の感性であり、事実の積み上げからくるパターン分類的な事実によるものです。しかし、これらの経験から積み上げられたものは、例えば日本の暦における農作業と季節との関係の記述は、不思議によく的中することが記述されている。日本人はこの昔からの暦を大切にしています。
この様に、日本においては西欧の様な科学的合理性の思考法は、余り発展しなかった経緯があり、各流派の伝書においても体験による伝承も、非常に抽象的な日本の和歌に託して教えを受け継いでいる事実もあり、弓道の技や思想を「科学的合理性」の考え方や「論理的」に理解しようとすると失敗するでしょう。科学的合理性の考え方で理解出来ない部分・説明出来ない部分が、豊富な体験を通して教えとして確立され体系化されているのが、これらの武芸の道であると信じながら修行の道を歩む必要があります。
日本の弓道の中では、「調和」と言う考え方を非常に大切にしています。
射によって争う事を嫌います。弓道を通して争う事は在ってはならないのです。弓道の最高目標として定める、真善美の善は不争の精神を言います。不争とは、逆に言えば「和」「調和」です。道場という、空間をどの様に埋めて行射するか?これは射をする人に対しては「場の掌握」と言う考え方で教えます。どこに場所を取るのが全体の中で最も調和をとることが出来るかを、全体の場を見て直感で選定しなければなりません。
また人と人の間の距離、夫々の動作の間の間隔などは「間合い」という考え方で教える。これは物理的な空間としての間ではなく、その結果として両者が引き合う即ち「合う」ことが要求されます。これは、弓道でよく使用される言葉の「息合い」「気合い」なども同じで息又は気のタイミングが合うだけでなく、その結果互が引合、影響し合って「生きて」いないと意味がありません。これらは、それぞれ「調和」「和」のコンセプトから出発しています。
これらの原点は、大自然の中での動植物・人間等のそれぞれの関係であり、あるべき間柄・あるべき位置関係から自然に生れる空間的・時間的な関係を理想の姿としています。
理論で求める事の出来ない直感的で、直裁的で、感覚的なものであり、それらは長い修練の中から自ずから体得されるものです。部分的には物理的な美に近い結果が得られる時もあります。例えば、幾何学でいう「黄金率」は、場の掌握の中で、最もバランスのよい位置・安定感のある位置と言う事で、それに類似する場合もある。
しかし、その中でも例えば制約条件として神棚があったり、神棚の中心線は外して控えた位置を考慮するとか、上位の席の設けかた等の礼と関連する事により、単純に比率関係だけで、位置関係を決めるものではない。
和の思想は、礼の思想とも関連を持っています。礼に則った人間関係・位置関係も和の思想の原点になります。物と物との間柄、物と人間の間柄、人と人との間柄、これらの全てに「調和」の思想は適用されます。感性から「在るべき所にある」もっといえば「そこになければ不自然である」と言う感覚がこれです。これらは、人為的な、知性の中から生み出されるものとは考えない。
後述しますが、日本の自然は大変に複雑で、山川は入り組み、海岸線なども出入りが多く・起伏も多く実に複雑で、それらが何とも言えない大自然の織り成す「自然の調和」を描いています。欧米において「調和」と言えば「シンメトリー」と言う言葉が反射的に出て来ますが、日本人にとってシンメトリーは人工的な・人為的なものを感じさせて、美の感覚に結びつかないのが一般的です。これらは、西欧特に文化発祥の地中海地方の温暖で、緩やかな自然条件から生れた美の感覚と比べて、日本の自然は大いに異なり美の評価の仕方も、欧米とは自ずから異なる審美感・審美観となっています。
日本においては、複雑な自然環境の中で、互いが凌ぎ合い・影響し合った結果としての姿を調和と表現します。複雑に変わる風の向きに耐えながら、結果的に曲がりくねってしまう山の上の松が一番自然なのです。それを紐で引っ張ったり、添え木を当てたりして真っ直ぐを維持した松は反って不自然なのです。
例えば弓道の中でもよく使いますが、日本で言う「自然体」とは、生れたままの自然の姿を言うのではなく、大自然の中で揉みに揉まれてその結果存在するものを「自然体」「自然の形」と言います。例えば、日本の松と、ローマの松を比較するとよく理解出来るでしょう。前者は曲がりくねっており、後者は傘をさかさまにした様に左右対称形をしている。複雑に入り組んだ山川は、通り抜ける風もその強さ・方向も時々刻々変化をし、また四季の折々に風の吹く方角も違っている。そんな中に松は茂っている。強風をその吹きかける反対側に通す様に枝は揺らぐ。この様にあらゆる条件の中を通り過ぎてきて、松は成長し、形を整える。その結果があの曲がりくねった松の姿である。
ですから日本で言う「自然体」とは多くの修練を経て、余分な動作を取り払い、最も簡素な形で残った姿を自然体と言いことになります。
和のコンセプトも同じで、あるものは大自然の中から学び、あるものは限定された島国しかも地形的には非常に複雑な狭い環境の中で、他民族に侵略されることもなく、何千年いな1万年以上に亙り、同じ所に住み続けた人類が、子々孫々に亙り継承してきた「調和」の感性が、物と人間の間柄であり、人と人との間柄であり、空間的・時間的な調和としての美として存在しています。とても論理的に・科学的に説明することが出来ない部分です。一軒の建造物を作るにも狭い土地の中では、平らな土地がそれ程広くある訳ではなく、とても対称の美の様な建造物を建てる事は不可能です。それ故に、非対称ではあるが、高低差を逆に美の要素に織り込んだ日本独特の調和の美を持った建築様式を打ち立てました。それらは庭園についても全く同じことが言えます。日本には、幾何学的に対称な美を持った庭園は殆ど存在しません。自然の形を生かしながら、造園されるのです。その中に幾何学的な調和があるとすれば、それは人工的に驚くほど計算され尽したものとして構成されます。西欧の自然は、日本における不自然であり、人工的なものとなる。日本における「調和」は、この様に豊富な経験が積み上げられ、しかも本質にダイレクトに迫る直感から生れた調和の美と言えます。
この考え方が上記の様な、射又は体配を始めとして色々な面で「調和」という考え方を、日本弓道は要求しています。それらの多くは経験の中から継承されたものであり、何故と問われても説明が出来ない部分が非常に多く存在します。
そして、この「和のコンセプト」は、空間を拡大すれば「近隣との和」「地域社会の中での和」「国の中での和」「世界の全ての民族の和」に繋がるコンセプトと成り得る物と言えます。互いに歴史を背負い、その中で継承してきた互いの文化は、それなりに互いに価値のあるものであり、それらを互いに高く評価しあいながら、手を携える事が世界平和で在る事は間違い無いと思う。そのお互いの距離・間隔・間柄の智恵が生かされる所が多いと思います。この他にも、日本の弓道を学ぶ前提条件又は基本的な考え方の切り口は色々とあるであろうと思いますが、取りあえずこの5点を提示しておきたいと思います。要約すれば、道の思想・礼の思想と言う共通の概念の上に
これら3点を視野において、その背景となる文化的な条件を各論として説明を加えたいと思います。
日本の弓道を学ぶ前提条件の項でも、随所に日本の自然の条件から生れた文化的特質について述べた。日本と同じように複雑な地形の中で、複雑で微妙は変化の自然の中で生活する民族もこの地球上には数多くあると思います。只、日本の場合には孤島であり、しかもその土地に1万年に亙り同じ民族が住み続け、営々と生活を継続してきたという事が大きな違いであり、重要であると思います。更には17世紀から3世紀に亙り、国の鎖国という政策により、国外との接触を皆無にし、日本文化を内面的に純化していった事も重要です。これらの事を頭に置いて、日本の自然の特色がどんな形で文化に影響を及ぼしたかを説明をして行きたいと思います。
日本は、北緯30度から45度、東経130度から145度に位置しています。
緯度から見ると九州の屋久島・種子島のある北緯30度はエジプトのカイロの位置で在り、北辺の北海道の北緯45度はイタリアのミラノ・ボローニアの位置になります。
日本列島は、3、300にも及ぶ島を持ち、その内中心になるのは、北から北海道・本州・四国・九州の4つの島です。そして四方を海に囲まれて湿気の多い地域にあります。
日本列島は、約3万年前の氷河期にはアジア大陸の東縁辺にあり大陸の一部でした。
この事実は、民族的にアジアの諸民族との類似性・文化の共通基盤を理解する上において重要です。地球の温暖化が進み、氷河期が終わる頃には、海面が100mほど上昇し、大陸との間に日本海が形成され、大陸から分断され、列島を形成しました。従って、北海道はカムチャッカ半島に飛び石状に繋がり、九州列島は朝鮮半島に繋がる形をし、更に南洋諸島は台湾を経てフィリピン列島にも繋がっています。これらは、氷河期に東南アジア・フィリピン諸島を含んだスンダランドとして、大陸の一部を形成していた事を示しています。それらは、海溝図を見てみると非常によく理解出来ます。
列島の東側・南側には、太平洋が広がっています。西側には日本海があり、流れの早い海流が流れています。日本列島に人間が住み着いたのは、1万年以上前の旧石器時代の事で、その頃の石器や人骨、食料として食した動植物が遺跡から発見されています。その間には約2000年位前に中国大陸・朝鮮半島から沢山の人が移住し、先住民との間に混血を進めながら今日の日本民族を形成しました。
列島は、南北に3、000km(1、860マイル)の長さとなり、亜熱帯から亜寒帯に亙る位置にあります。気象条件としては四季が明確に別れ、四方を海に囲まれて雨量の多い地域にあります。上記のように大陸の東縁辺にあった地域であり、中心になる4つの島の中心部には、丁度背骨の様に高い山々があり、狭い東西の列島の幅に対して、中央部と日本海および太平洋の海岸線とは大きな高低差をもっています。日本列島の中で海から最も遠い地点が、海から僅か120kmと言う距離で在る事を考えても、日本の東西の狭さがご理解戴けるでしょう。即ち日本の河川は、急流で短いと言う事を示しています。これらが豊富な魚を河川に住まわせ、且つ流れの急さに応じた各種の魚の棲み分けを生んでいます。また海岸に接する河口域には、豊富な魚介類・海藻類を生息させます。
中央部の山脈により分けられた雨水や空気は、日本海側と太平洋側の気候には大きな差が生れます。夏は太平洋側から湿気を含んだ季節風が吹き、冬は大陸の冷たい乾燥した季節風が吹きます。その為に、太平洋側では、夏は南東の季節風が吹いて蒸し暑く、冬は乾燥して晴天が多い。日本海側では、冬は大陸からの北西の季節風により降雪が多く、世界有数の多雪地帯となっています。豪雪地帯の新潟県では4ー5m(13ー16フィート)にも達します。
北海道を除く地域では、6月上旬から7月中旬にかけて、高温・多湿の梅雨と呼ばれる雨期となります。8月から10月に掛けては、列島の南西部は太平洋上で発生する台風の影響を毎年の様に受け、災害も多く発生します。
これらの自然は、多くの風水害を発生させるが、一方においては豊かな自然の恵みも与える。梅雨時の降雨は米作には無くてはならないものであり、台風時の大雨や冬の降雪は水資源としても重要な役割を果たします。冬の大陸からの雪を伴う季節風は、列島を縦に走る山脈に多くの雪を残し、雪解けの水は1年を通して列島を潤う事となり、河川に豊かな水資源を供給します。
このような自然は、動植物にどのような影響を与えるのでしょう。
温暖で降雨の多い列島には、植物が旺盛に茂り、深い山々の樹木が十分な水を根に溜め、清い水資源を人々に提供する。また1年を通して途切れる事のない清流の中で、四季折々の山菜を生み、魚資源が育み、急流を流れる水は山の上からの豊かな栄養を持った水として海岸線に流れ込むことにより、海岸線近くでは豊富な近海漁が住み、魚介類・海草類が育ちます。植物が旺盛に育つ事により、小動物が育ちます。
この様に、日本列島は、太古の昔より豊かな動植物に囲まれた天然の食糧を持つ地域でありました。これらが、自然に対する限りない感謝の心を生み育て、自然を崇拝し、自然と共に生きる日本民族の生き方の基本になっています。
人が食する植物も・動物も・魚も種類の数から言えば、地球上のどの民族よりも多いのではないだろうか。取り分け魚については太古の昔から日本人の重要な食べ物でした。
そして、海藻類も好んで食します。これは、奈良時代から食糧としており、世界でも稀な民族ともいえます。河川の魚類だけではなく、海においても暖流・寒流がぶつかり合う日本海および太平洋の海流の恵みがあり、国の内部および周辺を含めて極めて多種大量の魚類を得て、生活に取り込んでいます。そして旺盛な植物の繁殖は、それを食する小動物を繁殖させ、小動物を食する中型動物を育む事は容易に理解出来るでしょうs。
これらは、やはり日本独特の地形から生れる自然の恵みと言う事が出来ます。
この豊かな自然の恵みは、現代においても同じです。
土地面積の上では地球上の404分の1でありながら、人口は全世界の33分の1という狭い国土の中で、極めて人口密度が高い状態で生活している事実からも明らかです。如何に恵まれた自然環境が備わっているかを推察する事が出来るでしょう。
その国土といっても、67%は山であり、多くは森林に囲まれています。農用地は15%、宅地は3%に過ぎません。工業用地に至っては僅かに0.4%です。狭い土地を有効活用し、智恵を集めて生活を営み、生産性の高い収穫は自然の恵みを一層有効に生かしていると言えるでしょう。稲作等を例に考えてみても、農用地の活用に至っては欧米または東南アジア諸国に比べて10倍以上の生産性を保持していると言われています。
只近年は、工業の為に自然を破壊したり、農業で使う化学的な無機農薬や、家庭で使われる化学洗剤などにより、環境が侵されている実態があり、憂慮すべき問題も抱えています。自然を大切にする民族として、この問題は重要です。
ではこの様に、複雑な地形の上で、温暖で多雨な気象条件に中で、そこに住む人はどんな考え方の中で生活をしてきたのでしょうか?
文化を考える場合に、その土地の持つ自然条件があり、その自然と人間の関わり合い方の中で自然と生れ育った風土が育まれます。自然への最適な適合を求めた人間の智恵の集積がその中に見出されるのです。最適化の営みは人間に限ったことではなく、動植物においても全く同様で、その自然の条件を自己の個体の中へ最も有利な条件で対応しようとする営みがあります。西欧と日本を比較する時に、地球の上での緯度および海による寒冷の違い・大陸と島国という人間の物理的な移動の難易さ、自然の恵みまたは厳しさの違い、食問題としての自然の中での人間とくに食糧の確保の難易さ、衣・住における自然が提供する原材料の種類等など、自然はそこに住む人間に対して色々な影響を与えており、そこに西欧と日本の文化の拠ってきたる所に違いを生じます。
これらが、風土として根づき、文化・習慣・思想の違いなどに発展していきます。それらは、歴史と言う時間の経過の中で生活への適否を繰り返しながら、淘汰された結果として現在に至っていると考えられます。
この様な、観点から日本人の生活と風土を紐解いてみたいと思います。
それらは、きっと大陸で生活している人々にとって興味が尽きない課題であろうと思います。それらを実証する身近な事例を紹介する所から始めましょう。
日本の自然は、上にも紹介した通り、山川に囲まれた非常に狭い区域に人が集落を作って生きている。橋を掛ける技術や、山を平らにする技術や、河の流れを変える技術などが進んだ現代においては、山川の自然の条件を多少でも改善し、人の住む為の条件を変える事が出来るが、これらの技術と言ってもここ100年位の間での話です。
日本の歴史は、国の形態を取ってからでも2000年、集落を構成しての縄文の時代を含めば1万2千年と言われます。これらの国土が開発されない時代から人は住んでいました。それを頭に置いて戴きたいと思います。人が移動しようにも、眼前には大きな険しい山があり、川を渡ろうにもその河の流れは非常に早く、立ち止まる事も許さない。従って人は、山川の自然の囲みの中で、互いに肩を寄せ合って住むしかないのです。そしてそれらは、外敵から集落を守る自然の要塞でもあったのです。因みに中国・朝鮮半島から弥生人が入り、混血を重ねながら日本民族が出来上がって行きましたが、その時代から現代までは僅か2000年に過ぎません。それ以前の縄文時代は1万年続いたと言われています。自然の要塞に囲まれて、豊かな自然の中で、食糧に恵まれて、平和な生活を維持し続けたであろうと思います。それが、古代の日本となります。日本文化の基盤も実はこの縄文時代の人達の生きた智恵の中にあるであろうと思います。
従って、当然の事として集落の中の人々の意識は、外へ行くよりも内側に向けられます。共同の生活の中で和を守り、調和を図る生活を求めるのは、自然の理です。
欧州の様な見渡る限りの平原またはなだらかな丘陵では、人の移動も容易でしょう。
少しでも生活するのに善い条件を求めて人は移動し続けるであろう。これは、日本の土に定着して生活する事とは対比される生き方となります。日本では土地を移動する人は、警戒されます。現代においても、例えば会社を変える、勤めを変える事は、その人の信頼を損なう種類のものである。理解しやすい善い例を紹介しよう。
1994年秋にオランダ弓道連盟会長のハンス・デ・ベッカーご夫妻が我が家を訪れた時の話です。私の娘の結婚式にわざわざオランダからご夫婦で参加下さったのです。
ご夫婦共に日本の結婚式を見られるのは始めての経験であり、私にしてみれば日本の伝統的な考え方を理解して戴くには一番よい機会であると考え、伝統的な形で執り行われる娘の結婚の行事の一部始終を見学してもらいました。即ち、我が家で花嫁姿を作る姿、家を出るに当たり両親への今までの御礼の挨拶とお別れの挨拶、近隣の人達が見守る中で嫁として家を出る儀式、嫁ぎ先のご先祖へのご挨拶、町内挨拶、神前結婚の儀式、結婚披露宴と一部始終を見てもらいました。リンダ夫人は、エクサイテングの連続だと表現して見えましたが、家族の一員としての個人と、家との関係、先祖との関係など日本文化と個人を大切にする西欧の文化の違いを色々な具体的な形の中から見られたであろうと思います。ハンス氏には結婚披露宴で着物・袴姿で巻藁射礼の介添えをお願いしました。勿論夫人も日本の着物を着て披露宴には参加して戴きました。
これら伝統的な日本の結婚式には、色々な面で日本人の生活の形が凝縮されており、その原点を見てもらう事が出来たと思っています。特に、個人と家との関係・先祖と個人の関係などが興味深かそうでした。当時氏は、本書のテーマである「弓道の背景の日本文化」の勉強をしていた頃である。
翌日は、私の緑に囲まれた私の山荘でゆっくりと寛いで貰いました。
標高550m位の所にある私の山荘の目の前には、標高1200mの笠置山が見えます。山と山荘との間は緩やかな谷になっており、途中には川が横たわっています。私の山荘のベランダから笠置山を見ると、山の裾野に民家が固まって集落を形成している姿が見えます。丁度裾野にへばりついて民家が在るような姿です。山の僅かな平地に岩にへばりつく貝の様に、集落があるのです。どこまでも平原が続く大陸とは違った集落の形成の姿に接して、山川に囲まれた狭い平地に生活共同体を構成する日本の集落を形の上から見る事が出来、そこに住む住民が「和」「互いの協調」の中で生活せざるを得ない光景を認識し、日本文化の原点にある「和」の必然性を理解されました。
次に雨が上がり、晴れ間が出て山荘の近くへ散歩に出ました。そこで体験した事はハンス氏夫妻を更に驚かせました。散歩の途中で、とある農家の前で老夫婦に呼び止められた。私も初面識の土地の夫婦である。彼らは、私たちを土間に引き込み、お茶とお菓子替わりの漬物を出してくれた。暫くすると缶ビールを取り出し飲まないかと進めてくれた。祖国のオランダの話に花が咲いた。帰り際に、老夫婦は裏山から竹の子を切りだし、またみょうがをビニール袋に入れてお土産だといって差し出した。私たちは、好意を素直に頂戴してそれらを持ち帰った。私個人にとっては優しい農家の方の好意を得たという日本人のごく一般的な感想でした。山荘に帰ってからハンス氏が、口を開いた。私の住むフローニンゲンは400世帯が住み、それは26の人種の人達が一緒に町を形成している。文化も習慣も違う人達である。今ここで経験した事は、欧州においては「絶対に有り得ない事であろう。先ず見ず知らずの他人を家の中へ迎える事自体考えられない。ましてやそれらの人にお茶やお菓子でもてなすなど絶対に考えられない。まして自宅の庭・裏山にある野菜・植物をお土産に持たせる」等は、とても考えられない事である。
ここで、ご夫婦は狭い地域の中に肩を寄せ合いながら住む人達の「和を作り出す為の生活の智恵」を感じられたのです。人を信用し、他人を快く受け入れる。無防備とも言える形で来訪者を受け入れる姿は、きっと大陸に住むご夫婦にとっては不可思議な事であったでしょう。他の地域に移動することが非常に困難な山川の自然の囲みの中に住む人にとっては、互いに信頼しあって、生きていく事がもっとも賢明であるのです。そこで信頼を裏切る事をすれば、自然とその社会から除外されるのです。それが不文律のルールなのです。日本の山村にはこの様な人間関係が昔の侭に残っているのです。
ベランダの上から形として見た日本社会の原点と、散歩中に体験された「和」を求め維持する必要性をどのような形で為されているかを、実体験として巡り合ったと言えるでしょう。日本の社会の原点がここに残っているのです。
ハンス夫妻は、日本の社会における、個人と社会・個人と個人の関係が最も端的に現れている体験をしました。前日の結婚という行事の中に見る日本の社会、本日のベランダから眺めた集落の形、そして自分達が散歩の途中で体験した全てが日本の文化であり、習慣であり、出合った事実です。日本文化の原点を理解出来た思いがするとつくづくおっしゃって見えました。これらの上に日本弓道もあるのです。
日本人は、太古の時代から複雑に入り組んだ山川に囲まれた狭い平坦な土地に人が集合し、村落を形成して生活をしてきました。豊富な自然の恵みを生活共同体の人の必要とする分のみを収穫として取り、更に分かち合いながら生活する姿は、嫌な事が在っても他の土地に移り住む事が出来ない自然の環境の中で、大前提として、生活共同体の中の人同士は、信頼しあい、「協調」「和」の精神で助け合いながら生活を共にする生活を続ける必要があり、その具体的な方法を習慣として生活に定着させて来ました。
外から来る人に対しても誠心誠意の心でもてなして受け入れた。これは、自然と人間の関わり合いかたの中で培われた日本人の生活そのものである。それらを、鈴木大拙は、和を調和(harmony)に止めず、和悦(gentleness of spirit)の意味を含むと解説していますが、相互の和(harmony)の中から醸し出される精神的な喜び迄含めた概念に発展出来れば素晴らしい事です。それは、強制された和ではなく、互いに求め合った和であれば、そこには自ずから精神的な満足感と平和な心を維持しようという積極的な・肯定的なものと変化するからです。
この「和」の精神は、国の呼称としても使って来ました。
「大和」とは、大きな和と書きます。和を広げて行き、その結果出来上がった大きな和が大和の名前です。そして「和」は「輪」に繋がり、始めも終わりもない永遠の連続を意味します。禅の僧侶は、良く色紙に丸いOの様な図柄を書きます。これは、「和」は「輪」に繋がり「円」に繋がっているのです。円は無限の点の連続です。そしてこの様に出来上がった円は、どちらからの力に対しても非常に強い力を発揮します。
円の内部に非常に大きく強い力を秘めています。急流を流れる岩は、激しい流れの中で川の中の岩や石にぶつかりながら、次第に角が取れて丸く姿を変えて行きます。
同じ様に人々は、日常生活の中でも、心を丸く丸く持つ事により心と肉体の調和をもたらし、健康を維持し、幸せな私生活を恵む、更に人の和を作り・社会の和を作ります。
この和の思想こそ、日本人の基本的な考え方であり、コンセプトです。それは自然環境の中で育まれた日本人共通の考え方です。この調和の思想は、禅や神道の中でも非常に重要に扱ったと言う事は、日本人の社会の中での共通した価値観の中に在ると言う事でもあります。この和のコンセプトは、弓道の中の大変重要なコンセプトなのです。
先にも紹介しましてように、道の思想の中には人間としての在り方・在るべき姿を投影していると説明しました。社会の道徳・倫理の上から望まれる規範は、この道の思想の中に投影されているのです。毎日の射技・体配の修練の中で自然にこの「和の思想」を学び体得するようになっています。単に射技や体配の形だけを学ぶのではなく、この裏にある思想迄学ぶ必要があります。
この和のコンセプトは、人種・宗教・文化・歴史等の違いを乗り越えて、地球上にある全ての人が手を携えて生きていく根元の思想となる事は間違いないでしょう。それは、常に全体に目を向けながら、個の在り方を考え、全体との調和の中で個を制御してゆきます。個の積み上げの中に全体がある訳ではありません。生命力を持った全体の組織の中の個であり、それはインド哲学で言う所の「梵我一如」即ち大宇宙と小宇宙が同一の摂理で制御されており、互いに気を通して結合連携している仏教の背景にあるの思想にも繋がるものでしょう。
私は、日本文化の神髄を考える時、日本列島の豊かな自然に留意しています。
これは日本の文化を見る上において非常に重要なキーファクターとなる。特に、西欧の文化との比較をする時、また宗教の教理の違いを考える上において重要です。
もっと言えば、科学工業の発展の歴史も、この西欧の自然の特性の中から説明が可能であると考えます。西欧に比べて日本においては、手工業が主体となり、工業の考え方が進まなかったのは、そこに豊かな自然と、争う必要のない、力を行使する必要を感じなかった日本人の生活・社会があったのではないかと思います。
変化しやすい自然・恵みの豊かな自然の日本の中では、科学的合理性の思考方法が中々発展せず、経験則の中からの文化として手工業を中心に発展した違いも、この自然と人間の関係から読み取る事が出来ると思います。
同様に「和」の思想は、日本列島に人類が住み着いた時から始まった概念であり、和を生み出す方法だけでなく、和を維持する方法・智恵にまで及んでいる大切な民族の思想であると考えています。
日本の自然の項で紹介した様に、食糧となる植物・動物が非常に豊富であり、自然に感謝する気持ちが自然に沸く事はご理解戴けると思います。自然には、神が宿ると考え、自然に感謝し、自然を大切にする考え方を抱いてきました。その一方では、台風や豪雪や大雨などは、とても人間が制御する限界を越え、只堪え忍び、静まって貰う事を受動的に祈るだけの生活でもあります。
日本人の宗教の項でも説明しますが、古代においては人間の力を超える全てのもののエネルギー、存在そのものが信仰の対象でした。自然の森羅万象に神が宿ると考えたのです。太陽・月・星・風・火・大風・大雨・地震・大石・大木・海流それも上の層/中の層等に分けて、時には山の中の峠や分かれ道まで神として信仰の対象でした。これらの神としての対象が非常に多い故に日本の神道は八百万(やおろず)の神と呼んでいます。神の数が正確に八百万種類あると言うのではありませんが、数多くあると言う意味でしょう。
この様に日本人は、古代から自然に対して非常に素朴な感謝と信仰を持っていました。豊かな生活の糧を与えてくれる恵みの自然と、自分たちの力では制御の不可能な力を秘めた自然の脅威に対する、畏敬が自然と育っていました。
複雑で、微妙に変化する自然の中で身につけた経験は大切に伝承されます。
それが、生きる智恵であり、自然の恵みを生かす方法であったからでしょう。
日本語の中に「勘」とか「コツ」という言葉がありますが、これらは英語にはない概念の言葉です。要するに多くの経験を経て身につけた特殊な技能であり、感じ取り方です。多くの経験の上にあるだけに、それらは全神経を集中させた中で反射的に出てくる技能であり、対処の仕方・考え方などです。それらは、同じように経験を持っていないと理解の出来ない問題解決法であり、発想法となります。
例えば、木製の戸の開け方について例を取りましょう。
日本の気候は前の章で説明しましたように湿度が高く、生活の隅々に天然の資源としての樹木を利用しています。家は勿論樹木を使います。部屋を仕切る戸も・扉も木材です。木材は空気の乾燥・湿気により膨潤します。湿気が高くなれば膨潤して空気を通さないようにし、乾燥すれば引き締まって空気の通りを良くします。それ故に、日本には校倉造りという独特な建築様式があります。特に倉庫などでは古来から重要な建築様式としていました。カナダなどのログハウスと思想的には類似する内容を持っているかもしれません。湿気で膨潤した戸や扉を開くにはある種の技術が要ります。戸枠も戸または扉も共に膨潤しているからですおり。それらを開けたり閉めたりする為には、その場・状況に応じた技能を要します。多くの場合には、何度も何度も開けたり・閉めたりした経験の中からそれを学び・体得します。中々言葉で現す事の難しい内容です。
こんな時に日本人はよく「コツ」と言う言葉を使います。微妙な感性を体で覚えているのです。科学的・論理的に説明の出来ない弓道の技も「コツ」と称して教える事も多いのです。コツと言う言葉に似た言葉に「勘(かん)」と言う言葉があります。
「コツ」と言うのは経験の中から得た技能であり技術ですが、「勘」は豊富な経験の中から得た状況把握のコツを使って将来を予測する力です。豊富な経験からパターン分類された記憶により、鋭い感性をそれに加えて予測するのです。
例えば、山や海の空に掛かる雲や、風向きや、湿度の状態などを綜合的に判断して経験の中から近い将来起こり得る状況を予測する「勘」などは、山に住む人・海で生活する人にとっては、生活に関わる極めて重要な問題であり、それらは古老から伝承されて、自然の条件を読む技術として活用されます。それらは「勘どころ」としてそのポイントを教えます。「コト」と「勘」とは、複雑な自然の環境の中で、豊かな経験の元で溜め込まれた智恵を背景にして存在します。
日本人は、手足を器用に使うと言われています。これも日本の自然の影響があるのではないでしょうか。食事をするのに箸を使うのがその理由の一つです。水分の多い環境の中で、水分の多い米を、水分を加えて炊く調理法の中で出来上がったご飯は、手で直接ご飯を掴めば、暑く・しかも手にご飯がくっついてべたべたするでしょう。
従って、箸を使ってご飯を食べる必要性が生れたのです。箸は、当然日本で最も一般的な資源としての樹木になります。箸の長さも、重さも経験により、その寸法・重量が決っています。その箸により小さな豆を掴んだり、魚などの小骨を抜き取ったり実に器用に箸を使いこなす事が出来ます。
これは、湿気の多い日本の環境の中で生れた食生活であり、その食生活から育てられた器用さでもあると思います。東南アジアでも、乾燥している地域では手で直接ご飯を掴んだり、匙の様な物を使って物を捕らえます。あの細い2本の棒により、物を掴むのは幼少の時からの訓練によるものです。恰も手の一部として箸が動く事は西欧の人達には不思議に思われる事でしょう。
この様に日本人は、基本的には自然は侵しがたいものであり、人の力が及ぶものではないと考え、自然に対して非常に謙虚で、感謝の念を抱いています。自然を人間の力で加工するにも、出来るだけ自然の姿を壊さないように注意を払います。料理でも西欧のように形が壊れる迄煮込むとか、潰して使うという調理法は非常に少ないのです。自然のものを、自然の形を生かしながら、調理をし、自然に感謝をしながら食します。
住む環境についても、自然に対して非常に素直に考えて、自然を生かしながら、自然を出来るだけ姿を変えないように最小限の変化でそれを実現させようとします。自然の尊厳に対して従順なのです。
経済社会の現代において、日本の企業が世界の自然を破壊して利益を追求している姿がありますが、心在る日本人としては非常に心の痛むことです。本来の日本人の思想とは離れた経済中心の論理の中での世界がそこにあります。しかし、本来の日本人の思想はそうではない事を説明しておきたいと思います。
日本の自然は、植物の繁殖をもたらし、日本人が樹木を素材にした生活を営んで来ました。日本の伝統的な建造物も樹木を使っています。欧州における樹木に囲まれた地域においても、樹木を生活の中に生かした文化があり、類似の要素がきっとあるであろうと思います。ここでは、地中海文化から出発した西欧の石の建造物の文化と対比させて論を進めてみたいと思います。
世界の最古の木造建築物としては、607年の法隆寺があります。建築後1300年を経過しています。建造後1000年に近いものも数多く残されています。これらは、樹木の性格を正確に汲み取り、その樹木が持っている本来の性質を生かして使用されています。右捻りの木材・左捻りの木材を上手に組み合わせて強度を持たせるとか、山の南側で育った木材は建築物の南側に使い、北側で育った木材は北側に使用するなど、それらの材料の本来持っている性質を生かして組み合わせる事により、金属以上の寿命を持たせているのです。これらも樹木を使う生活の中から学んだ日本独特の建築法と言えましょう。
欧州においては、ギリシャ時代の石の建造物の遺跡があり、ローマにおいても然りですが、石の建造物と、木の建造物に伴う文化の違いを覗き見る事が出来ます。
まず欧州の方に理解し易いように石の文化から考えてみますと、深い地層の中で何万年も何億年もその形を変えない石、永遠に姿を変えない石を原材料として使用すると言う事は、建造物としても永遠を前提として考えますから、計画段階にあらゆる事を考慮して、理想の姿を描き、それを設計図面に置き換えて建築が始まり、長いものに至っては300年から500年に亙って営々と建築をし続けます。
美に対する価値観も永遠の価値観の中でシンメトリーを基本に描かれます。
その一方で住宅を考えてみますと、住宅における木の寿命は一般的に言って長くて300年位でしょうか。普通の民家で使われる材料では、50年から100年程度でしょうか。中には法隆寺のように1300年も形を維持している建造物もありますが、それらは、材料に糸目をつけない、そして名工と呼ばれる人の手によるもので、なお且つ建っている場所が湿気が少ないとか、地震が少ないなどの特殊な条件がある所の建造物でしょう。
日本の神社の総本山ともいえる、伊勢神宮では、昔から20年毎に作り替えを行っています。一度立てたら永遠に立ち続ける石の建造物と、20年毎に作り替えをする木の建造物を、その計画段階および建て替えの段階に焦点を合わせて比較してみましょう。
木の建造物では、建て替えを前提としていますので、計画段階では理想的な形・機能を考えながら、現実の問題点の中で妥協も大いことでしょう。そして建て替える時点で、今までの建築内容の善い点即ち其の侭継承して使用して善い工法と、改良を要する点を識別をし、改善を要する点は改善し、新しい建造物として建て替えます。即ち過去の伝統を現代に生かす事を繰り返します。その中で伝統の中で不都合な事はどんどんと改善を図ります。伝統であるから素晴らしいという判断ではなく、伝統の技術の現代性を常に求め、評価しています。新しい時代の要求にどんどんと姿を変えながら、伝統的な善さを現在に生かすのが、日本の伝統を維持する意味となります。
石の建造物では、建て替えのチャンスが無いだけに計画段階で、完全・理想を追い求めます。木の建造物においても完全・理想を追い求めて計画構想する訳ですが、建て替えの時点では、必ず評価・改善が伴います。従って、ある意味では西欧の石の文化では、理想を求めて行動するのに対して、日本の木の文化では、理想の永遠を求めるよりも、改善を前提として改善を重ねて永遠を維持する事を考えます。伝統的な文化を現代において評価し、咀嚼する考え方があります。体験を生かし、経験を生かし、技術を現代に生かす事がなされます。この考え方は、人間の生き方・物の考え方の違いとして、説明する事が可能でしょう。非常に目的的な取組み方をする欧州と、気軽に手を染めて不都合が生じたら捨てる日本。例えば、弓道を始めた動機を欧州の人に尋ねると数年考えて、弓道を始める事を決心したと言う人によく巡り合います。日本人は、もっと気軽に考えて取り付くのではないでしょうか?それが、その後の修練の仕方の中での違いになって現れます。非常に計画的で、目的的に取組むので西欧の弓道生の上達は、早いという印象があります。また非常に本質的な部分について曖昧さを残さないように取組んでいます。試行錯誤による修練をしている日本人とは違います。日本においては、教え方も体験を主体に教え、理屈はあまり教えません。その為にどうしても試行錯誤が基本になることは否定出来ません。
私たち、弓道指導者が欧州の人達に指導をする時に、何故そうするかと理由を尋ねられた時が一番辛いものがあります。何故と問われても、自分自身が理由を教わっていないからです。この様に、弓道を習おうと意思決定するまでのプロセスの違い、また一旦習おうと決めた後のその後の取組み方の真剣さの違いを感じます。より深く・より核心に触れる様に前進する欧州の弓道生の取組みに、こちらがどぎまぎしてしまう事がよくあります。これらは、石の文化の上の生活の考え方と、木の文化の上の生活の考え方の違いではないでしょうか?別の面から考えて見ましょう。私はここで、日本の武道・武士道を中心に説明していますが、武士道は当然西欧にもありました。騎士道です。
それらは、どこに違いがあるのでしょうか?
結論から言えば、日本の武士道は現代にも生きており、西欧の騎士道は現代には既に消失していることです。日本においては武士道は現在においても現代に蘇生させながら生き続けているのに対して、西欧の騎士道は過去の歴史の中にある事の違いを感じます。
木の文化の中で説明するように、古い伝統を現代に蘇生するから伝承が現代に生き続ける事が可能になるのです。これが、日本の武士道が現代にも生き続ける事の出来る理由ではないかと思います。それは歴史の遺物としての武士道ではなく、現代に蘇生された武士道であるのです。
永遠にその形を保つ石という資源を多く持たない故に、また木材という資源に余りに恵まれている為に、それを使い続けてきた文化が、別の意味で独特の在り方を生み出しているとも言えるのでしょう。石と木の持つ性質の違いから、文化の面への影響を与え、その中で違いを生んでいるのではないかと思います。
機会があれば、更にこの違いからの文化論を発展させて行きたいと思います。
更に話を発展させよう。日本の社会は、基本的には縦の社会となっています。
個人個人が平等であるとは考えていません。年長者を大切にし経験者を尊重します。
位の上の人を立てる等などです。その点では、席に就く順序についても厳しい序列を設けます。これらは、上座・下座という礼儀作法のルールを生みました。
これは、西欧および戦後の日本の個人主義の風潮の中で見逃されている大切なものであると思います。その基本は、経験でしか体得出来ないものについては、経験豊かな即ち年長者から教わるしか無いのです。年長者と同じ体験の量を持とうとすると年長者の年齢まで掛かってしまうからです。年長者の智恵・体験を生かし、その上に更に高く・深いものを積み上げる事により進歩が生れる一面があるのです。
日本の様な閉鎖社会においては、社会の中の和を保ち・均衡を保ち・秩序を維持する上において重要な考え方として発展してきました。
それらの思想は、どこから生れてきたのでしょうか?
日本語では、山村や山に水蒸気が掛かった状態を現す言葉が、多くあります。起伏に満ちた複雑な地形では、風雨も複雑に変化しながら私たち人間の生活と関わります。別な表現をすれば、複雑な地形の中で、湿気を含んだ空気が季節風と共に、微妙に変化しながら日本の自然を作り出します。自然の微妙な変化は、繊細な感性を生み・自然の美を生みます。水の豊かな環境は言葉の世界にも現れます。雨・雲・霧・霞・雫(しずく)・露・霙(みぞれ)など、雨に関する漢字が52種類あり、水に関する漢字は489種類もあります。これらの言葉はそれぞれの現す意味が違い、その情景を的確に使い分けて現すのです。これらの微妙な変化をそれぞれ現す言葉があるのです。
水のすくない砂漠地帯の人または乾燥している土地の人には考えられない言葉の数でしょう。それぞれの言葉ガ存在すると言う事は、夫々の状況が人間の生活に及ぼす影響も違いが在ると言う事であり、それぞれの影響を古老が豊かな経験の中と先祖からの伝承の中で豊かな智恵として保有しています。それらにより微妙に湿っている度合いや、風の向き・強さなどを綜合的に考えて、これから起きる事を先読みして生活を守り、生かしてきました。言葉は当然の事として私たちの生活と密着しており、農作物への影響や、その外の自然の脅威に晒される前触れ情報でもあるのです。変化の多い自然の中で生活するには、多くの経験を積んだ老人の生きた智恵が尊ばれ、しかも土地に密着した農業の仕事の中では必須のものでした。
合わせて水田稲作という日本の産業の実態を考えると縦社会の必要性を理解し易いでしょう。自然の食糧よりも、栄養価が高く・計画的に生産の出来る稲作は、日本人が大切にしてきた産業です。水の豊富な日本においては、稲は水田で作ります。狭い土地を整備して、水田を作ります。狭い土地を最大限に利用する為に多くの智恵を注ぎ込んできました。水田の維持は少しでも手を抜けば、すぐに雑草に覆われ生産性の低い痩せた水田に変わってしまいます。その為に子々孫々大切に水田を守り続けているのです。土地に定着して、田に近い所に住まいを構え、何時でも田に出向いて田を守ります。
水田である限りは、水を引く必要が当然あります。そして平地の少ない日本の水田は、水を土地の高い所から低い所へ計画的に、互いの村落が協調しあって水を取り込まなければなりません。何処の農家でも早く水を引いて稲を思いっきり生育させたいのです。その為の水に関わるトラブルは農家の常です。この調停役は、経験豊かで話し合いが出来る年長者であり、長老の仕事になります。死活問題であるだけに話し合いは常に慎重を期します。そして更に、3ヶ月づつ明確な四季を持つ中で天候を相手にする農作業は、細かなタイム・スケジュールの中で実に精密に計画的に展開されます。日本の自然は殆ど2週間毎に変化していると言えるでしょう。暑いと思っていると2週間もすれば、涼しい季節に変化します。涼しいと思っていると、2週間もすれば肌寒さを感じさせる季節に変化します。微妙に毎日毎日が変化しています。そして、これらの変化は複雑な地形の中で地域内でも変化します。これらの微妙な変化を如何に先読みして、収穫を守るかは日本の農業の重要な所です。それ故に経験の量が重要になります。そしてひとたび事が起これば、家族総動員で対応しなければなりません。タイミングを失すると1年間頑張ってきた努力が一瞬の内に消え去ってしまうのです。従って、家長の指示に基づき一族郎党が結束して事に当たります。変化の多い環境の中での労働集約的な水田稲作の作業の宿命でもあります。
この様に、水田稲作農業・複雑で変化しやすい自然から収穫を守る智恵として経験豊かな年長者を大切にして、家長の統率下で一致団結して事に当たる必要性から、自ずから縦の社会を構成し、維持することとなります。そして、家を単位とした社会を構成し、家と個人の関係も定義してきました。狭い日本の国土で、国民一人一人が自分を主張し、自分の権利を確保することに血道を挙げたならば、日本の社会はたちまちの内に破壊するでしょう。何せ冒頭にも書きました通り、全世界の404分の1の国土に、全世界の33分の1の人口が、狭い平地を利用しながら過密な状態で住んでいるのですから。
前にご紹介したハンス氏が、娘の結婚の当日に嫁ぎ先のご先祖様に挨拶をして、これから一緒に住まわせて戴きますと挨拶する光景を見られたのは、その背景にこの様な日本の家長制度による縦社会の姿があることを理解されたと思います。生活の中で自然に年長者を尊ぶ生活があるのです。年長者の智恵により生活が支えられても居たのです。
狭い土地に密着し、四季の変化と共に絶えず変化する自然の中での労働集約型の生産活動であり、家族・一族が力を合わせて集中的に作業をする必要があるのです。家という集団が単位となって活動をします。従って、家においては個人を見ず、個人の集合体として家を見ます。この様にして、個人と家、家単位で社会を構成する姿があります。
個人の独自性を尊重し、個人の権利を大切にする考え方は、確かに重要なことです。しかし一方において経験にしかよれない智恵があることを評価して、弓道ではありませんが、縦の線と横の線をしっかりと組み合わせて、縦横十文字の効いた組織・社会を構成しその中で人の幸せがあろうかと思います。日本においては、若い世代と中年以上の世代において、この断層があります。一方、社会や企業の組織や行動の中には、縦社会が厳然と残っております。それは、ここに紹介した様に、科学的合理性の時代とは言え、人間関係や自然の現象で科学を越えた現実が存在し、伝承の重要性が認められるからです。弓道の修練において、特に重要な考え方になります。
日本の文化を「恥の文化」と呼ぶ学者があります。私は、この表現が非常に的を得た表現と認識しています。「恥」とは、自分に対する恥・家族に対する恥・会社に対する恥・自分の先生に対する恥等といろいろな側面を持っていますが、いずれにしてもそれらは「自分および自分を取り巻くものに対する自己規制」の働きをします。「在るべき姿」「正邪の物差し」に当て嵌めて、自分の言動を自分で評価する所から出発しています。
人は、自分の心の中にある「価値観」の中から行動します。この価値観が邪であり、低次元であれば、自分の邪な・低次元な行動も自分自身で許す事となります。自己規制の利いた社会は、自浄作用を持った社会であり、平和で安定した社会となり得ます。
道徳的な規範も倫理的な規範も無い所では、互いの力関係で善い事・悪い事の判断基準が揺れ動くでしょう。同じ事実も在る時には正しく、在る時には誤りと言う判断基準も出てきてしまいます。その意味では、道徳的・倫理的にも正邪の判断基準が一定する事は社会秩序を維持する上において極めて重要な事といえましょう。
和の思想の中でも示しましたように、人間同士の間柄・距離を含めて、社会の中で自分はどう在らねばならないかを考え・行動する事は重要な事です。指揮者が命令を下さないでも、第三者の調停を期待しないでも、事の善悪を判断し、自ら行動が取れる事が一番善いのです。では、その恥じの文化はどこから生れたのでしょう。
日本の場合には、スバリ閉鎖的で、移動が難しい住環境・社会環境の中から生れました。山谷に囲まれた閉鎖的な環境は、自ずから社会の規範を生み出します。成文化(法律の様に文章で明確にされている事)されていない正邪の判断があります。事例の集合として存在する場合が多いでしょう。また日本文化に大きな影響を与えた仏教や儒教が示す規範も「正邪を測る物差し」として、生き続けました。これは、どこの社会でも、同じ面を持っています。例えば家族関係は、生れて死に至るまで付いてまわる人間関係であり、消去する事は出来ません。こういう人間関係の中では、やってはならない事・他人に迷惑が掛からないように自分自身の言動は自然の内に自律性を持ちます。これが、家族内から、地域社会へ、社会全般へ拡張された考え型が、日本人の「恥じ」の考え型になります。唯一つここには問題があります。社会を「内」と「外」に分ける事により、「内」に対しては自分を律しますが、「外」へ出た時はこの規制が外れてしまい「旅の恥じはかきすて」と言う弱点をさらす事です。現代において日本人が、海外へ出て自己規制を外してしまい、目に余る行動をしてしまうのは、この内外の区別によります。誠に恥ずかしい事です。しかし本当に素晴らしい人は、内であろうが、外であろうが、同じ判断基準に基づいて自己規制をして、在るべき姿に照らし合わせて自分の行動をしています。相手が許す範囲ならば何をしてもよいという考え型ではなく、「人として本来すべき事・してはならない範囲」を明確に意識して行動する事が、恥じの文化の裏側にあります。
閉鎖的な環境の中では、規範を外れた行動は、直ちに糾弾され、社会から除外・排斥されるでしょう。「掟破り」と一緒です。共通の価値観を得ようと努力しながら、社会の善き一員としての自覚と共に、「恥じの文化」は生き続けます。
弓道においても、正しい考え型(道)で、正しい方法に基づいての的中を得る事を通して自分自身を高めていく武道弓道・修養道の弓道の心は、この自己規制・自律性の中で、邪の心による的中を排除します。例え的中を得ても、自らに対して恥ずかしい的中が在る事を知っている事が重要です。他人は的中があると、自分を褒め称えるかも知れない。しかし、ここに落とし穴がある。自分の心の中で、何が正しく・何が誤りかを、明確に理解している事が、自分を鍛える弓道の中で一番大切な事となる。
この章で説明をした日本の地理・歴史・政治経済・行事等文化全般を紹介する書籍として、非常に素晴らしいものがありますので次に紹介致します。
「NIPPON;The Land and its People」Writer;Nippon Steel Human Recources Dep.Co.Ltd.
Publisher:Gakuseisha-Japan
(3-27-14 Shikahama,Adachi-ku,Tokyo Japan)
「Zen and Japanese Culture」 Writer:Taisetz Suzuki
Publisher: Charles E. Tuttle Company, Tokyo Japan
「Smaller is Better- Japan
’s Mastery of the Miniature」written by O- Young LeePublisher: Kodansha International, Tokyo, New York, San Francisco
ここまでに紹介した日本の自然条件の中で、どのような風土が育ったかはご理解戴けたと思います。これは、好むと好まざるを問わず、日本人の生活・社会の中に定着してゆきました。どの民族にも同じ様な文化基盤の問いかけの方法が可能であると思います。そしてこれらが武家社会の形成の中で、武道または武士道の思想の中に確実に反映されました。宗教自体もこの風土に適合する為に変化もしました。
この章では、武道・武士道に焦点を合わせて、もう少し深く考えてみましょう。
では武道の思想に大きな影響を与えたのは、どんな考え方であろうか?
先ずは、武道・武士道を生んだ時代背景を理解する必要があります。
日本国の建国と共に貴族階級を生み、王朝文化を築きました。それが、日本の歴史の中での大和朝廷・飛鳥奈良時代・平安時代となります。それらは、米という保存の利く食糧を中心とした経済基盤の上になりたっていました。武士は当初これらの貴族の傭兵として貴族の利益を守る立場にありました。しかし豊かさに慣れ親しんだ貴族階級の腐敗と共に、武士が集団を形成して貴族を武力で制覇する時代となります。互いに力を貯えた武士団同士が闘う時代に入ります。これが戦国時代です。そして遂には大きな武士団に収斂されてゆき、そこから武家政治が始まりました。この武力の組織化・国家権力への成長の過程で、武士の在り方・武道の在り方が問われて、それぞれ社会規範を組み込んだ形になり、武道・武士道として花開いて行きました。その頂点が300年に亙る武家政治をした江戸時代となります。
私は、武道または武士道を考える時の重要なポイントとして、人間完成に向けての修行の道筋の中で学ぶ人としての在り方を一本の連続した修行道として、完成している事に意味を見出しています。
道と言う限りにおいては、麓から頂上に連続的に繋がった道があり、その途中には体験した人しか実感の出来ない素晴らしい景色もあり、危険と隣り合わせの場所もあるでしょう。しかし頂上には、完成された人の姿がないといけない。それが修行を完成させた暁に到達出来る人間としての在るべき姿と言えるでしょう。
現代は、価値観が多様化して、何が最高の目標なのか判別が出来ない時代になっている。しかもそれらの目標も非常に相対的で、不安定な形になっているように思います。その為に、武士道においてはどんな価値観の元で、どんな道筋に従って完成への道程があるかを、明確にしなければならないと思います。体験を基盤にして、仏教・儒教・神道の価値観を統合して、日本の環境に適合する価値観を纏め上げ、そこに修練の道としての武道がある所に意味を見出します。武士道においては、人間としての武士の在るべき姿すなわち道として指し示しています。それらは、宗教の思想に裏付けられた在るべき姿であり、実践哲学の中から生れ育った規範であり、価値が在ると思います。確かにそれらは、日本という場で生れ育った思想ではあるが、人類共通の価値観も非常に多く、それぞれの国の文化に咀嚼して生かす部分も多いと思います。
前の章までのところでは、日本文化共通の自然及び風土が日本人の考え方・行動の起こし方についての参考となるであろう。しかし、もっと知的な側面として武道または武士道に影響を直接的に与えた宗教および武士道精神について紹介してみたいと思います。
武道を歴史的に考えてみると、第一段階の当初は武器を持った暴力組織であり、勝利を得る為には手段を選ばない闘い方であった。それが、第二段階として集団による戦闘の時代に入り、組織としての統制および主従関係を持つに至り、更に第三段階の武家の世の中になり、日本文化の中での道徳・倫理さらには宗教の教え等を取り込みながら、武士の在るべき道としての武士道に育って行ったと言えます。
武とは、漢字で書けば矛を止めると言う意味を持つ。
正しき事を遂行する為に、邪な相手の矛を止める、即ち武により裁断する事を意味しています。己の正しきの為に、武を用いるという意味を、剣道において考えてみよう。日本の剣道では、刀は両手で持ちます。
皆さんは闘う姿として、両手で刀を持つ姿を不思議に感じないですか?
西欧のように右手に刀・左手に盾の形は取らないのです。武道には基本的には守る姿がないのです。敢えて言うならば、攻める事により守る事となります。何故この様な形になったのでしょう。日本の剣道は、刀を抜いた以上絶対に相手を倒す必要があるのです。
上にも書いた様に、日本という島国環境では争うと言う事は、非常に困った人間関係を引き起こします。また道徳的・倫理的な不文律のルールも存在しています。その中から恥の文化も育っています。従って、武器を使って争うと言う事は、「大義名分」がないと出来ないのです。あいてを倒さなければならない事情が在って始めて闘いが始まります。事の善し悪しを明確に判断し、刀を以って正義を通す必要が在るとき始めて刀を抜くことになります。抜いた刀により、正義に対して勇気を以って邪な相手に立ち向かう事となります。真剣による勝負は、刀を抜いた時点で自分か相手かのどちらかが死を迎える事になります。刀を抜いた後、逃げる訳には参りません。
上の日本文化の考え方の中で紹介したように狭い閉鎖社会の中では、卑怯な振る舞いや正しくない行動は、たちまちの内にその社会の中で汚名が広がってしまいます。
従って、刀は容易には抜けません。自分の判断が絶対に正しいという事を反芻して、尚自分に大義名分が在る事により、初めて刀に手を掛ける事になります。話し合いで済ます事が出来る問題については、極力話し合いによる方法を取ります。それが、武となります。刀を抜いた以上は生死を掛けて闘う姿が、刀を両手で持つ形に現れています。
事の正邪を判断する能力が非常に求められるのはここにあります。
日本の刀には微妙なソリがあり、刀を引く事により切ります。刀により力でねじ伏せるとか、叩き落とす事により勝利を得るのではありません。薄い紙をも切る非常に切れ味の鋭い刃物です。一瞬のスキにより勝負を決してしまいます。技術以上に精神力・鍛練により身につけた反射的な判断・動きにより勝負は決します。守るという気持ちをもっていたら、既に勝負に負けたものと同じになります。攻める事が守る事ともなるのです。
攻めは最大の守りと言う言葉もあります。技術以上に精神性や道徳・倫理などの正当性等が精神的な要素として働き、その一瞬のスキを勝負に変えます。
鉄砲の入る前の日本の戦闘は、主に弓で在り、刀の闘いでした。
相手との距離が離れている時には弓が武器であり、近くなった時には刀が武器となりました。鉄砲の入る前の闘いでは、武術を修練した武士同士の闘いでした。
それ故に、闘いに先立って氏・素性を名乗り上げて、氏族の名誉を掛けて闘う事を誓って宣言したのです。武士の闘いであるから、氏・素性を名乗るのです。
武士道とは、武士としての在るべき姿・道を求めて修練することを言います。
同じ様な言葉に武道と言うのがありますが、これは武の修練を通して人としての在るべき姿の道を学ぶ事を指します。
武道または武士道が、初めから存在した訳ではありません。戦闘の手段であった武術を行う侍が、初めから武士道の様な倫理観・道徳観を持っていた訳ではないのは世の東西同じでしょう。当初は、秩序のない粗暴な力の論理の中での武闘集団であったことは事実であろう。しかし戦闘の地域が広がり、局地戦から地域戦に変化していく中で、小さな個人の集合の闘いから、少しずつ大きな集団となり、組織戦になるに従い、そこには規律が必要になってきます。闘争集団の秩序が次第に重要に成っていったのは自然の成り行きでしょう。
これが、武士道として世界に類をみない厳しい秩序と、統制を得るに至ったのは、武家社会という封建制度を考えないといけないでしょう。戦闘の為の統制から、政治を預かる集団へと役割が代わって行く間に順次形を整えて、江戸時代に入って「武士道」として完成したと考えてよい。特に、約300年続いた江戸時代は、戦闘がなく、平和な時代であったと思います。その為に、武士道は「平和を維持する」為の武道を強く意識したものになっていったとも言えるでしょう。武士道とは、社会の最上階級にある武士の道として育って行きました。そしてその内容は、道徳・倫理をしっかりと踏まえた現代にも通用する「人としての在り方・道の考え方」を持っています。それが、現代においても武道として存在しうる所以でもあります。その意味では、価値観の乱れた現代こそ、一定の価値観の元で、人としての在り方を求めた武道の心を評価し、現代に生かす事が重要であると思います。
弓道すなわち弓の道を、単に的に矢を的中させるだけの技術として考えるのは、根本的に誤りです。的に矢を的中させる修練を通して、人としての在り方を学ぶ事が重要です。
弓道を学ぶのではなく、弓道を通して学ぶ姿勢がなければならないのは当然の事です。
武士道の整備のきっかけは、鎌倉時代に溯ることが出来ます。そしてそれは、武家社会の成熟と共に発展しました。
前記の様に、当初は武器を持った闘争集団を統括する為のルールから出発しています。その中には、主と侍の主従の関係の在り方・正々堂々と闘う形式や心・勇気を以って闘う意味・死に対する心構え・生きる価値等が含まれます。
江戸時代には、人民は「武士・農業・工業・商業」の順序で階層化され、武士は社会の頂点にあり、刀を身に帯びる事の出来る唯一の階級であった。幕府は、儒教を中心にして道徳・倫理の規範を武士階級に徹底しました。刀は古来から、正邪を分別する象徴とされ、正しさの為に使用することを大前提としました。この背景には、日本の自然・和を中心とした文化・縦社会・恥じの文化などで紹介したように、閉鎖社会では倫理・道徳から外れた行為は許されるものではなく、力による蹂躪は正義としては否定された。自己規制と自律性の中で人としての在るべき姿・道が問われ、それらは武家が身を以って実践する必要があった。武器を帯びる事の出来る唯一の階級としては、当然の事である。この様に、日本の武士道の中には「社会の規範」としての「武士」の姿があり、その為に禁欲的な、自律的・自己統制を基本においた在り方があります。
武士道が、武闘の折りの道徳であるのみでなく、社会および個人の自己規範を伴う思想として定着している意味がある。武道の形成の経緯を述べると上記の様になりますが、武家時代の武道は、武芸百般といって、武士はあらゆる武芸に長じている必要がありました。
そして各武道が孤立して存在するのではなく、武士は弓術もやり、剣術もやり、柔術もやり、槍術もやり、各種の武道の心得がないといけなかったこととなります。理由は至って簡単です。戦闘の状態を考えてみてください。遠く離れた敵には弓が有効でしょうが、接近戦になれば槍や刀が必要になります。さらに槍も折れ、刀も折れれば、組み打ちと言って相撲の様な事も必要であったでしょう。甲冑をつけていますから、現代の様な柔道という訳にはいけません。しかし、戦場でなければ、あらゆる敵に対してその場その場の武術で対応しなければならないのは必然です。従って、武術百般といって武士はあらゆる武術を習っている必要がありました。武道精神や武士道精神は、個別の武道にある考え方ではなく、武を行使する武士の心と価値観の中にあるのです。
その為に、これらの武道精神が武を習う人の底流にあり、それらがそれぞれ専門毎に分化したのが、弓道であり、剣道であり、柔道であり、槍道であった訳です。従って、これらのそれぞれの武道には武の道としての共通の理念が通っているのは極めて当然のことです。弓道の考えを説くのに、剣道の例を取り出したりするのも決して誤りではないのです。私たちも、剣道を修練している人や、柔道を修練している人などとの会話を通して色々な事を学んでいる事も事実です。技の内容・構成は違いが在ってもそれを求める道・方法・考え方には随分共通点があるのです。
それぞれの武術が分派して、戦闘方法の秘訣・武術の秘訣などを守る為に、各武道の専門集団として流派を構成し、流派の中で豊富な体験に基づいた秘術が伝承される様になります。その為に流派の伝書が作成され、武道に対する考え方・形などが整理される時代を迎える。それが室町時代を中心にしてなされます。
例えば尾州竹林流も室町時代に興りますが、その伝書の中には、既に弓術と言う言葉ではなく、「弓道」という言葉を使い、武術から武道への変化をしています。更に江戸時代に入りますと上記に紹介した通り儒教や禅の思想が取り込まれ武士道として確立されて行ったのです。
この様に、人として在るべき姿に到達する修行の道の思想が、弓道・剣道などの武道の基本思想として重視されている意味がここにあります。
武士道については、新渡戸稲造の「武士道」を参照されるとよいでしょう。
邪を断つのが、武であるとするならば、正邪の判断は何を規範として存在したであろう。ここに儒教を日本的に咀嚼した結果が、活用されます。
では江戸時代に完成した武士道は、どのように教育されたのであろうか?
一般的に芸道は、形から入り心を学ぶと言いますが、私はこれには少し疑問を抱いています。特に現代に此れを適用しようとする時、価値観が多様な中では、基本的なコンセプトをしっかりさせて、その上で道を学ばないと本道に迫る事は出来ないのではないかと考えています。確かに同じ様な価値観の中で、修練を始めれば、いつか心に迫る事も可能で在ると思います。しかし、価値観の異なる海外の弓道を志してみえる方には、これは難しいのではないかと思います。
従ってここでは、理念の勉強から入り、その上に武術を修練した武士階級の幼児教育の内容を紹介し、その意味を解説したいと思います。これは、武士道精神をどのように教えていったかと言う問題と、武術を習うのが先か正邪の判断をする考え方・思想を学のが先かという、武士道を身につける迄の方法論の問題であるからです。これは、武道を考える時に非常に重要な示唆を含んでいると私は考えているからです。
上の章でも武道の修養道としての在り方について記述したが、それを実際に身につけるのに、技を習うのが先か、正邪の判断を伴う精神性を学ぶ事が先かの問題です。
道の修行をしていれば、自然に人間性が豊かになり、人格が向上して行くのだという考え方があります。だから黙って修練をせよと。道を歩む間に自然に身につく物も大いにあろうかと思いますが、道を歩む間に既に修行者は自分の判断により、道を選択している。ましてや、武道をスポーツの一種と考えがちな西欧一般社会において、スポーツのコンセプトで弓道を考えると、それは何時の間にか似て非なる物に育っていくだろうと思います。日本においても、もし武術を学ぶという形から入っていったならば、あのように奥の深い精神文化を持つ武士道が出来上がったであろうかと疑問に思います。そして、現代まで継承される程の普遍的な価値を持つ武士道になっていたであろうかと思うからです。
一般に紹介されている禅との結びつき深いの武士道・儒教精神に基づく社会関係の中での正義の為に生死を掛けて闘う潔い人間像としての武士道など、成人としての武士の生き方が一般的に紹介されますが、その底辺にはどの様な幼児期の教育が在ったかを知って欲しいし、また実際にはその幼児期の教育が在ってこそ、更に深く・広い鍛練を通しての成人になってからの武士道精神が花開いたのではないかと思います。
その点は、十分に注目すべきであると考えるのです。私がここで武士道の修行を考える時に、武家社会時代の幼児期の教育の流れに大きな関心を持つのはその為です。
結論から言えば、この時代には武術を習う前に、個人として・社会人としての人としての在るべき姿、正邪の判断をする訓練を始めたということです。
邪を切る刀を帯る武家社会では、正邪の判断基準を学ぶ事がなによりも優先されるものであったのです。従って、6歳から12歳程度の幼児期・少年期において、正邪の判断をする「道の勉強」を厳しく教え込まれ、その上で武術を学んでいったのです。刀を抜くと言う事がどういう意味を持つかを厳格に教え込まれ、その上で刀を帯たのです。そこが単なる武闘集団と違うのです。社会の頂点に立ち、事の善悪をその場で判断し、正邪を判断し、時にはその場で一刀両断で邪を制裁する武家の責任であったのです。
宗教が日常から遊離し、また世界の自由思想の上で多様な価値観をうたい文句にする現代における弓道においても、修練する目的の置き方により、進む弓道の道が全く違った所へ行き着いてしまうのです。現実の問題として修行道の弓道と言いながら、その修行の頂点に何が在るか?そこへ到達する道筋はどうあるべきか?それぞれの段位・段階で学ぶ技と精神的な価値観との関連性はどうあるべきか?これらを理解しないままに指導を受ける事は是というべきか?
この当たりに技の修練から入って精神的なものに辿り着こうとする進み方の問題を感じるのです。安易に出来るだけ早期に弓道の楽しさを知って貰う為に、表面的な的中の楽しさを教える所から始まる事を看過していて言いのだろうかと言う自問自答が私の中にあります。弓道修練の初めに当たり、修練の目的を何に求めるかを明確に理解して進む必要があろうと私は信じています。
弓道の修練を継続している間に、自然に武道精神が身につくと言うのは幻想に過ぎないというのが私の所見です。若し、そうであるならば武家社会の時代に武道の修練をもっと年齢の浅い頃から取組んだであろうと思われるからです。弓道の伝書でも、弓道を始めるのは7歳になった年の春の初めがよいと伝えています。しかしその一方では、当初から射術を教えても意味がないので、始めは礼法から教えるべきだという歌もあります。(男子の 七歳といふ 初春に 弓始する ものとこそきけ)その一方では、子供に矢業を望む事は無理であり、先ず弓のひきかたの概略と射礼を教えよといい、また幼い子供に弓を教える場合は先ず帯と衣紋即ち着物の着方・帯の絞め方・袴の履き方などから教え、射法は極めて簡単且つ基本的なことを重点に教え、難しいことは教えてはならない。礼儀作法から始めるのが善いとしている。初心者の場合も同様であると註書きしている。(童には 矢業強みも ならぬもの 先弓法と 射礼教えよ、童には 弓を教える 始には 帯と衣紋に 心付べし)とあります。それは、幼児でも初心者でも同じであると戒めている。
これは、弓道だけの問題ではありません。
社会の支配階級にある武家の子供に、刀を帯る意味を教え、その責任を教え、正邪の判断の基準を教えてから、初めて武術を教えた経験の中から生れたものであろう。
ではその幼児期にどの様な正邪を判断する為の教育を施したのでしょうか見てみましょう。ここに紹介するのは、江戸時代の始めに初心武士の教育用に大道寺友山が越前福井藩の要請により書いた物といわれ、松代藩を始め多くの藩がこれを教育用に活用したと記録されています。武家の教育用に用いられたものは、この他にも鳩巣の「明君家訓」や「葉隠聞書」等があります。ここでは大道寺友山の「武道初心集」を紹介したい。
項目を見てみましょう。
「武士道の神髄・勝負の心構え・治世の武士の学問・忠義と孝養の心・真の恥じを知る・平素の修練・馬術の鍛練・礼法を知る・陰口を利くな・常在戦場の心・年功に安住するな・忠節と忠功・主君のご威光を借りる・人にすぐれよ・有終の美・伝統を見失うな・職務に私情は禁物・後見役の心得・倹約と吝嗇・主家の歴史を知る・友人を選択する・家屋敷の普請・勇者と非勇者・悪口は慎め・忠実な奉公・武士の値打ち・近隣への配慮・臆病武士・日常勤務の心得・拝領着の取扱い・農工商を労る・勤めまじき役・安請け合いは禁物・上に立つ者の心得・健康で長寿を・小心者の妻帯・知行盗人の罪・倹約のすすめ・後世に名を残す・慎重にして潔く・主君への応答・乗馬の楽しみ・急がば回れ・主君のお供・武具を調える・従卒者に気遣う・軍学への誘い・騒動に対処する・お手打ち・真の忠臣・兵法者の責任・殉死にまさる忠節」の56項目です。
これらは、江戸時代に諸藩の教育用に一般的に読まれていたもので、武士の子供が武士道の基礎として教わった内容です。その外に儒教の四書語経を教わり人間としての在るべき姿・道徳・倫理を学んだものです。これらの上に武術があり、武道となっているのです。
これらの項目を見て頂くと、全く成人に対する教育と変わらない事を確認されることでしょう。
日本の現代の会社で行われている新入社員教育で教える様な内容ばかりです。
恐らく西欧では、新入社員教育というものはないでしょう。日本においては、学校を卒業して会社に入社すると、将来までその会社に帰属することを前提として、社員教育を致します。社会人としての基本・会社の組織の形態・組織の中の社員の心得・仕事の基本的な枠組み等などが、教育されます。上の教育の内容も武家社会における基本的な教育内容を全てを含んでいる。
躾としての内容・本筋としての考え方・不時の場合の判断の仕方・武家社会の中で生きる為の処世の方法・一般社会の中での正しい判断の在り方など多岐に亙る内容となっているのに気づかれるであろう。これらの多くが、儒教精神に基づいた日常生活の中で遭遇するであろう問題を含んでいる事も理解されるでしょう。
武士道の考え方を示す参考資料として次の書籍を紹介する。
「Bushido」 written by Nitobe Inazo,
published from Kenkyusha
(11-3 Fujimi 2 chome,Chiyoda-ku,Tokyo,102 Japan
「Hagakure」written by Yamamoto Tsunetomo, translate by William Scott Wilson
published from Kodansha International Tokyo, New York, London
人間にとって心の平安を求める宗教の意味は大きい。
民族が信奉する宗教によって戦闘が起きている事は、世界の歴史の中では容易にある。
私は、人にとっての宗教も自然の人に及ぼす影響により、その宗教の教理も左右すると考えています。それは、自然の大きな力の前に、人間の力が如何に小さいかを示すものであり、自然の力に抗し得る人間に許されたものは、ただ従うのみであるからです。一方、弓道を学ぶ中で、西欧の人達にとって日本人の宗教観を理解する必要があります。日本人にとっての宗教が、西欧の人達の考える宗教と随分違う部分を持っているからです。
日本の弓道場では、道場に入ったならば神道の神棚で拝礼をし、射における体配は儒教の礼の思想を基本とし、そして行射する内容は仏陀との一体を願う。この様に道場という非常に狭い空間の中で、神道・儒教・仏教が併存することに先ず驚かれるのではないでしょうか?
儒教は、宗教と言い得るかどうか議論の余地がある。しかし、神道・仏教は明らかに宗教です。西欧の一神教を宗教として信仰をしている人達から見ると、道場の中で弓道をするのに神道・仏教・儒教と三つの宗教が同居していることにびっくりされるでしょう。
それぞれにどんな意味が在るのでしょうか?
日本人の自然観は、これまでの所で説明の通り、恵みの自然、脅威の自然、変化の多い自然の中で、人間の力をはるかに越えた自然に対する畏敬と感謝の気持ちを太古の時代から持ち続けました。それが、日本の伝統的な神道における原点であり、アニミズム的な要素を強く持った神道となっています。しかも神様は一つではないのです。人間の力の及ばない全てのものが信仰の対象となっています。「八百万(やおろず)の神」と言って、自然のエネルギー・生命力等は全て信仰の対象であった。太陽・月・風・熱・海流・河川・湖・光・雷・大きな石・大木などありとあらゆる物が信仰の対象であった。
従って、国家という形を取った後も、それ程明確な教理もなく、せいぜい@自然の恵みに対する感謝A先祖への感謝B生活共同体を維持する上に必要な最小限の約束事位が教理として定めている範囲です。そしてこれらの多くの神を統合する神として、伊勢神宮の神を祭りました。
そこでは、神々の住まれた天上界の生活をこの世で習う意味で「清く・明るく・直く・親しく・睦ぶ」事が教えの中枢となっています。合わせて「真ん中を立てて、分を明らかにして、結ぶ」事を生活共同体の基本理念として教えています。
生活に密着した形で個人の生活態度と、社会運営についての態度の両面が教理ということは、哲学的にはそれ程深い思想・理念を持ったものではありません。しかし、色々な神を同時に受け入れる許容度がそこにはあり、多神教としての性格を持っているといえます。
これらの日本古来の宗教である神道の哲学的な思想や理念の不足部分を補う様な形で、インドで生れ中国で育った仏教や、中国の孔子という思想家の教えの儒教などが、西暦500年頃に日本に紹介され、日本人風に咀嚼して神道の足りない部分を補いました。
この様に日本においては、神道・仏教・儒教が矛盾もなく同居しているのです。そしてその底流に「八百万の神」としての多くの神を持っていると言う事です。日本においては、インドの仏教思想・中国の儒教思想という発祥の地の宗教とは色々な面で違った内容を持つ日本独特の仏教・儒教が存在します。何れも日本の風土に適合させるように取捨選択したものです。多くは、日本の自然環境の中での人の生活から生れた習慣や思想・価値観の中で色付けされた形になっているのです。宗教が、その地で馴染み定着する為には、それぞれの文化の中での咀嚼は当然の事でしょう。
仏教思想は、紀元前26世紀から始まるインダス文明から、紀元前10世紀以降のリグ・ヴェーダやウパニシャッドのインドの伝統的な哲学を受けて、紀元前5世紀頃に生れた釈迦の教えから出発しています。小乗仏教・大乗仏教等色々な仏教の広がりを持っていますが、特に日本の文化に大きな影響を与えているのは、禅であり、欧州においても多くの理解者を得ています。その基本的な思想の中には、自然と人間の共生の考え方があり、自然の中の摂理と人間の体の中の摂理を原理的には同一のものと考え、自然の摂理を学ぶ事を修行と呼び悟と呼びます。自然と人間の間には気というエネルギーが循環しており、自然を学ぶ事は自分を学ぶ事となると考えます。そして、自然の摂理を学び・悟る為に自分を極めて客観的に置き、自然に対して直裁的に迫り、自然の本質に迫ることにより、自然の営みを悟るのが禅の対し方になります。釈迦の開いた仏教は、人生を苦として受け止めました。その後色々な宗派が生れますが、禅では自然の摂理を直裁的に感じ取る訓練をします。人生を肯定的に捕らえている所が釈迦仏教と違います。
しかし、仏教各派に共通した考え方としては、自然と人間の関係です。大自然の一部に人間が存在していると言う考え方であり、自然の中に人間が生かされているという立場を取っています。また自然と人間は同じ摂理に基づいて制御されており、人間を知る事は自然を知る事となり、自然を知る事は人間を動かしている摂理を知るという考え方です。その摂理を求める方法や形式にいろいろな宗派が生れる事となります。
私の学ぶ日置流系統の「尾州竹林派」は、真言宗に帰依した僧侶が開いた流派であり、真言密教の影響を強く反映した内容を持っています。流派の教えは、真言密教の言葉を借りて説き、真言密教の思想を背景にしています。その為に真言密教の知識なしでは、流派の伝書は読み取れない位です。密教においても独特な方法で自然の懐に直接入る修行をすることとなります。自らの体験を通して自然の摂理を感じるのです。
仏教の禅および密教の考え方は、武士道に大きな影響を与えていますが、それには次の様な背景があります。仏教・禅について考えてみましょう。先ず一つは政治との関連性です。天孫降臨と言う独特の神話伝説の中で、天(神)の孫としての天皇は、日本の神道と結びついて祭政一致の行政をしました。その後、仏教・儒教が中国との外交ルートを通して導入され、哲学思想の深いこれらの仏教や儒教が天皇・公家の生活に密着し、政治的にも重要な位置を占めていました。しかし、基本的には神道が天皇制度の原点であった事は事実です。こんな中で本来は天皇や公家などのを貴族を守る立場の武家階級が、貴族の政治・生活の腐敗と共に、政権を取って代わる時代を経て、神道を報じる天皇・公家と勢力を分かつ武家では仏教を信仰していたことが挙げられます。
次には、戦国の時代を終えて鎌倉に武家社会が出来た時に、従来の仏教が政治と結びついて腐敗する中で、新しい仏教として禅が紹介されました。古い仏教を擁した都の京都から離れて布教する必要があり、新しい武家政府の鎌倉を拠点にして、鎌倉の武家政府の庇護を受けて武士層に広がって行きました。しかも、生死を掛けた武士の生活の中では、実践哲学としての禅・知識よりも直感をにより直裁的に真理に到達する禅の思想は、より武士の生活に理解し易かったといえよう。
それは禅の修業が、単純・直裁・克己等戒律的な傾向を持ち、禅の思想が武士の戦闘精神と一致したから、禅が武家階級に極めて早く普及したのではないかと、鈴木大拙は「Zen Buddhism and its Influence on Japanese Culture」の中で述べているがその通りであろう。
儒教については、紀元5世紀頃に仏教と殆ど同じ時期に日本に紹介されました。
取り分け、江戸時代に入って幕府が公的な教育として採用したことにより、武士道の社会的な道徳・倫理として、普遍的な価値観を示し、重要な位置づけを得た。弓道においては、鎌倉時代の前の時代である奈良・平安時代に、射礼が実践されており、儒教の「礼の思想」に基づく礼儀作法や諸行事の様式化の面で重要な位置を占め、合わせて「主従の関係」など人間関係の在り方に基本的な考え型を植え付けた。また個人としての社会的な人間の在り方として、「仁・義・礼・智・信」を五常として定め、人間として常にしなければならない事としての道徳的規範・倫理的規範を社会に浸透しました。
弓道の中の礼は、「礼記射義」でも理解出来ますように、儒教の聖典としての四書五経の五経の中の「礼記」から引用されています。
礼記は、日常の礼儀作法から天子の祭礼に至る広い範囲の儀式を49編に亙り定めたもので、射における礼についたは、第46編の射義編の冒頭と最期の部分から引用されています。詳細には、私の小冊の「礼記射義・射法訓の解説」を参照されたい。
中国においても、正しさを己に求める射は、人を評価するのに非常に重用され、地方の行政府の役人を選ぶ試験において「射」を必須としていました。これは、公明正大を旨とする行政の役人として、正しい考え型で・正しい方法で的中を得る、また正しい判断が出来・正しい射をしようと努める射、更に礼儀作法に則った正しい弓道との取組み姿勢が評価されたと言う事を示します。
現代で言う所の「スポーツとしての弓道」ではなく、修養道としての弓道として、射により人格の評価をしていた。礼記射義の中の射を以って徳行を観るべしの言葉の語句はそれを現しています。日本においては、儒教は行政の仕組みの律令と共に、天皇家・公家などの貴族階級の間で研究され、弓道においては宮廷内で既に奈良時代から礼記射義に即して行射が行われていました。平安時代の書物の中で射礼の記述も残っています。
礼武家社会を迎えて、室町時代に各武道・芸道が「修養道としての道の思想」を伴って、様式化が進みその中にこれらの精神性が注入されました。
その後江戸時代に入り、儒教が武士を育てる教育科目として必須化され、禅と共に武士道の中に深く浸透して発達していきました。そして、武家だけに限らず国民一般にいたる教育の基幹として、浸透して行きました。
ここで一言、儒教と禅の関係について語って置きたいと思います。
儒教と仏教は、中国で生れ、または育ったものです。日本には紀元6世紀頃にほぼ同じ時代に紹介されました。禅は、12世紀後半から13世紀に掛けて日本に紹介され、14世紀・15世紀の鎌倉時代に五山文化として花咲いた。禅文化が武家社会に浸透していく過程において、儒教も一緒に武家社会の中に浸透していった理由については次のような事情があります。
インドで生れた仏教が、釈迦の悟りに到達する方法または仏教の思想の普及の方法の違いとして色々な宗派を生んでいった。禅は集中力を得る方法として活用されていました。
それらは、紀元前5世紀に釈迦が悟りを開いて仏教を確立して以降、約1000年に亙ってインドの従来の思想・価値観の中で教理を研ぎ澄まし、更に中国へ入って中国の思想との関連において教理の研究がされ、インド仏教から中国仏教へと変身していく中で、集中力を得る為の方法としての禅から、教理が体系化されて仏教の一派としての禅宗として確立されます。インドで生れた禅という精神集中手段が、中国に渡り禅宗として成長したのです。インドにおいて生れた禅とは、宗教としての禅ではなく精神を集中する行為としての禅です。禅は、パーリ語(インド初期仏教経典の言語)の「ジャーナ(jhana)」を中国で音写したもので、あるいは「デイヤーナ」(dhyana)の訛った形に由来すると考えられています。この語は、サンスクリッドでは「デイヤーナ」(dhyana)であり、精神集中がかなり進んだ心的状態を意味します。この方法は、インドでは釈迦が悟りを開かれる仏教成立以前から特殊な精神集中の方法として、精神的至福または神秘的直感が得られる事で知られていました。これが「ヨーガ」と名づけられるもので、心的作用の統御を意味しています。釈迦もこのヨーガにより悟りを開いたと言われています。ヨーガは、その後実践形態を少しずつ変えながら、仏教の基本的な実践方法の一つとして伝承されてゆきました。それが中国において宗教として思想・理念・修行の方法を整え、禅宗として、仏教の一派となるに至ります。それが宋[960ー1278]の時代です。
宋の時代は、中国の政治史の上からも多難な時代であり、618年に成立して907年に滅亡した唐から50年弱過ぎて宋(北宋)を成立したが、その間絶えず北方からの脅威に晒されていた。1127年には南宋を樹立したが、1278年には蒙古人の侵略により、中華思想に固められた中国国家はなくなり、元が中国全土に勢力を振るう事となった。その中で南宋時代は思想・文化の上でも中国独自のものを花咲かせた時代でもある。漢代とそれに続く王朝期には儒教を国教としながらも、強力なインド思想によって中国本来の思索的衝動が抑えられていたが、周囲の政治的勢力の圧迫の下にありながら、中国的な哲学の勃興期を迎え、一切の思想傾向も元来の中国土着のものはもとより、外来のものもことごとく中国風に統合され、中国人の思想体系の元で中国思想・哲学として形成されていった時代でもあります。
当時の中国は、前漢(紀元前141ー紀元8年)の紀元141年に儒教が国教となって以降、儒教が中心的な教理となって1949年の共産中国が設立するまで、継続して文化・行政等あらゆる分野で重要視されました。科挙といって中央・地方の行政官を選考するには、儒教の教科をマスターしていないと合格は不可能であったのは上記で説明の通りです。
この様に、国全体が中国化の方向を辿る環境の中で、当時の中国において儒教が絶対的な地位にあることにより、全ての禅僧も儒教の学徒とならざるを得なかったと言えます。
中国人としてはそうするより他になかった。儒教はその哲学の基礎は自国の思想体系においたが、仏教徒は仏教的なシステムを固守し、その言葉・語彙は儒教から引用する形を取っていました。禅徒は、儒教の用語を使って自分の体験した禅的体験を表現しました。
禅僧は、儒教諸原典をインド式に解釈もしました。また儒教的観点から仏典の注釈をすることも通常でした。禅僧は儒教徒でもあったのです。従って、日本から中国に渡り禅を学んだ僧も同じであり、彼らの学ぶ師匠は、禅・儒兼学の師匠の膝下にあって、禅は勿論儒教をも学んで帰ってきている。禅は中国において仏教に代表されるインド思想に対して、中国的思想に順応し体系化された。禅は、唐代に発達し、宋代に栄えた意味は、禅がインド思想の形を離れて、儒教の実践性を多く吸収して禅宗として形を整えていった経緯があります。儒教側にしてみれば、仏教の経典を中国語に翻訳することを通して、インドの仏教哲学の深遠広大なものが在る事を実感することを通して、一層深い哲学として発展した経緯がある。この様に中国において、儒教に大きな影響を受けながら禅宗が形成され、それの結果が、1191年栄西、1227年道元により南宋から儒教の影響を大きく受けた禅宗が日本へ導入されたのです。
この時点において、儒教を内部に多く含んだ禅宗と言う形で鎌倉武士に影響を与えていったのです。武士道が、儒教の影響が強い一方で、禅の影響も大きいのはこの様な中国での禅宗の成立の経緯を見逃す事は出来ない。
また武士道の背景にある思想の中に、日本に古来からある回帰思想について紹介したい。
それは、肉体は滅びても、精神は循環して生き続けると言う考え方です。
この思想は、人間が大自然の一部分であると言う考え方と、人間の死を「植物の死」のように考えたからではないでしょうか?
動物の死と植物の死の形は違います。植物の死は再生があります。死んでも蘇るという思想は、この世で一時的な勝利を収めれば善いと言う考え型を生まない。卑劣な方法・卑怯な方法で一時的な勝ちを得ても、来世では罰を背負って生きなければならない事を教えます。正しい道を、正しい方法でと言う考え方は、単なる道義的な思想の結果としてあるのみではなく、宗教的な考え型も裏側にはあります。宗教的規範の中には、普通の人間には中々出来ない人間としての在るべき行動をした人達の姿が、人間の理想の姿として崇め、信仰する姿が見えます。日本の伝統的な神道に根差す回帰の思想は、仏教が導入された時には、回帰の思想を取り込みインドや中国とは違った仏教の思想を発展させました。日本の夏の行事である「お盆」の行事は、亡くなった人の御霊を迎いいれる行事であり、魂の里帰りを意味しています。この考え方が、武士道の底辺に流れていると思います。
冒頭に説明した通り、弓道においては道場に入った時に神棚に向って拝礼をします。これには、道の場としての弓道場に入った事は「弓道の修練を通して自分を鍛えます。心を正しく持ち、師匠の教えの通りに、心を素直にして、修練をします」と言う事を神に誓うのです。
神棚に祭られている鏡は、自分の心を写します。純真な心で修練しようとする自分の心を写すのです。両側にある榊は、真っ直ぐに天に伸び、天に伸びる軸を中心にそれぞれの枝がこれを支え、常緑樹の緑で永遠に栄える事を意味しています。しめ飾りは、太陽の光を意味し、神の威光を象徴しています。神棚に手を合わせる事は、道場にいる弓の友を互いに先生として、親しく・睦まじく練習に励む事を誓っているのです。
弓道着と袴に身を固めて練習に入るのですが、道場内の立ち居振舞いは全て礼法に適った形で動作をします。師匠に対して失礼のないように、一緒に練習する弓友に迷惑の掛からないように、細心の注意を払いながら弓具を取扱い、また進退周還すなわち全ての動作は全て礼法に適った形で行動します。
そして射にあっては、1m四方我のみの心境で、仏陀に成りきった心で、的に向かいます。誰にも助けられる事無く自分一人で的に向かう必要があります。信じるのは自分のみです。信じられる自分を常日頃の修練の中で作り上げておく必要があります。射位にあっては、自分のみを信じて、日頃の修練の通りに真剣に1射一射を行じるのです。その真剣な1射1射が自分を鍛えるのです。1本の邪な心での射が、その後の射にも影響を与えます。基本の技を鏡にして射を行い、矢の届いた位置により、自分の射および心の正しくなかった所を反省し、次の1射ではそれらを注意しながら射を行じます。
会における永遠の延び合いも、仏陀と己の合一を修練します。
安土と道場の間の空間は、此岸と彼岸の隔たりと考え、永遠に飛び続ける矢を発する心掛けが必要でしょう。これが仏教的な安土と道場の間の説明になります。武術的にみれば、城と敵の間にある堀であるかもしれません。その時には、1矢射た後、敵の姿をしっかりと見据えて、次の矢を射掛ける必要があります。安土と道場との空間をどの様に理解するかで、射の内容も変わってきます。ここに基本的な弓道に対する考え方が一番大切であると申し上げている所です。
この様に、正しい心で、正しい教えに従った射の積み上げが、貴方の射に気品を与え、心を練っていくのです。誤った射の求め方をすれば、練習をすればするほど正しい道とはかけ離れた所へ、突き進んでいきます。指導者は、この辺りの事情をよくわきまえて伝統的な弓道の意味を良く理解して指導に当たって欲しいと思います。
海外の方にとっては、神道・儒教・神道と言われても他の宗教を信じる事は出来ないかも知れません。しかし、皆さんが学んでいるのは間違いなく日本の武道としての弓道であり、日本における武道としての弓道の背景にある思想や考え方を理解していないと本当の意味での弓道の味わいを感じる事は出来ないでしょう。その意味では、これらの事を宗教と言う事としてではなく、道場の中で行われる事の意味を理解し、内容を理解する事と認識し、修練されたらどうでしょう。それらは、私たちが、キリスト教の教会で荘厳な気持ちになって、手を合わせるのも同じです。または西欧のクラッシック音楽を理解する為にてバイブルを読むのと同じでしょう。例えば、バッハの宗教曲やオルガン曲を理解する為には、キリスト教の教理を理解する必要があり、聖書のストーリーが理解出来ないと本当の意味でバッハを理解する事が出来ないのと同じです。決して私がキリスト教の教理を理解している訳では有りません。しかし、祭壇の前では神々しさを感じることは事実であり、バッハの衆賛ミサ曲に神々しさを感じるのは事実です。これは、世界のどこの宗教に対しても、そこには欲望(煩悩)にまみれた世俗の私たちの心を洗う何かがあり、それに対する素直な畏敬の気持ちです。祭壇の前で手を合わせて私に向かって、貴方は異教徒だといって私を裁断するでしょうか?決してそうではないと思います。キリスト教を十分知らない私が祭壇で手を合わせている姿に好意的な目で、温かい目で見守るでしょう。それは、細かな宗教の教えは理解しなくても、その信じる心は同じであると理解するでしょう。八百万の神を基盤とした多神教的な宗教特性を持つ日本人にとって、一神教の西欧の人達の宗教心理は随分違ったものが在ると思います。それだけに、神道・儒教・仏教という宗教を持ち出して、それを強要するものではありません。しかし、日本の弓道を深く習う為には、日本弓道の中に織り込まれているこれらの考え方を理解する必要が生じてきます。それが、一層深い弓道理解への道であり、修練の道となります。
ただここでは、日本人の伝統的な弓道を修練している人達が、どんな考え方で何を意識しながら日常の修練をしているかを理解して戴きたいと思います。それが、何を求めているものか、何を目指しているものかを理解していないと日々の修練の結果は違った所に行き着くでしょう。表面から形のみを見て、修練の心構えや、目的を理解する事は不可能でしょう。従って、ここでは宗教と言えば難しい内容を持ちますが、どんな考え方で、何を目的として弓を射いているか、その為にどんな考え方が背後にあるかをご理解戴きたいと思い、その内容を宗教的に若干説明をいたしました。
これらは、他の武道においても同じ様な状況があります。
伝統的な武道としての柔道・剣道・なぎなた等の道場には、必ず神棚が祭られています。そこで修練する内容は武道であり、武を通して道を習うという考え方の中で運営されています。
競い合う結果を大切にする西欧のスポーツと違い、日本の武道系統の種目は、全て「道(どう)」と言う呼称を持ち、修練を通して即ちその工程の中に意義を認めています。各種の武道は、異なる理念により異なる所から生れたものではなく、同じ根から分岐しているものであり、共通の理念・哲学を持っています。西欧風に言えば「スポーツ手段論」となるかも知れません。スポーツを手段として、その実践を通して人間性を向上させると言う目的を持っています。これらが、生活に密着した宗教の理念の中で生れ育ったことは否定出来ません。
仏教・儒教・禅についてはもっと詳細に説明すべきであると思いますが、もっと専門的に紹介されている次の英語版の書物を紹介しますので、参考にされたい。
*神道関係 「Japanese Religion」A Survey by the Agency for Cultural Affais
edited by Hori Ichiro
Published from Kodansha, Tokyo, New York, London
Published from Charles E. Tuttle Company,
Tokyo, Japan
*儒教関係 「Confucius:The Analects」 translated by D.C.Lau,
Published by Penguin Classics Penguin Books
(27 Wrights Lane, London w8 5tz,England)
「Confucius as a Teacher」Writer;Chen Jingpan、
Published by Foreign Languages Press Beijing
(24 Baiwanzhuang Road, Beijing,China)
私は、12才から弓道を習い始めましたが、18歳の折りに慢性疾患に取り付かれ、入院加療とその後の養生に15年間を要しました。その間弓道とは直接関わる事は在りませんでしたが、15年のブランクとあと、縁があって弓を再び握る機会を得て、その後継続して弓道と関わって来ました。しかし、慢性疾患を持つ私には健康維持の為の弓道が主目的であったものが、欧州の弓道と接点を持つ事により、日本文化の上に咲く花としての日本弓道という視点を持ち、日本文化論についても勉強をする機会を得ました。そして、現在では弓道は私にとっては宗教の様な存在となり、弓道の教えに基づいて行動する時、それらの判断・行動は常に正しく、弓道の教えに基づかない時は誤る事が多く、全ての判断の基準として、弓道の理念が存在することを実感しています。
欧州の弓道を学ぶ人達が、多大な労苦を乗り越えて日本の弓道に携わってみえる姿を見て、少しでも正しくその理念・思想を理解して戴く方法がないかと、色々と考えてきました。それが、基盤文化の紹介という結論にいたりました。
弓道を修練するのに必要な日本文化を特に西欧の文化との比較の上に、特に特徴的な切り口から要約をしてみました。これにて決して十分であるとは考えていません。
特に私は、西欧および戦後の日本の科学的合理主義の考え方と、体験を重視した日本の伝統的な考え方を対比させて、その背景にある条件を整理した積もりでいます。それらが日本列島を取り巻く自然の条件による所が多いのですが、それと共にその環境の中で1万年以上も人が住み続け、その歴史的な体験の累積の中から、文化や習慣など日常の生活の為の智恵や、更に豊かな生活を求めた人間の夢が盛り込まれていると考えているのです。人間同士の豊かな心の触れ合いと助け合いの中で、この世に生れた事を感謝し、その人生を満喫する智恵が盛り込まれていると考えているのです。弓道の修行が、本来この夢に繋がるものであり、そうあらねばならないという思いと共に、焦点を絞って筆を進めました。説明が不十分な所も多いと思います。そしてそれらの多くが、各章にて紹介した参考文献による分野と考えている部分が多いのです。これらの参考文献を読んで頂いて肉付けをして戴きたいと思います。これらは、専門家により学問的にもより深く研究された文献・書籍類であります、また日本文化をビジュアルな形で紹介するビデオやテレビ等での映像による文化紹介に触れる機会も多いと思います。従って、私の浅い知識で夫々を解説することは、反って読者の皆さんに誤ったまたは偏った知識を与えてしまう危険性があり、専門分野については割愛しました。ここでは、弓道を考える上において必要な日本文化の側面の概要を紹介する事を主眼に置きました。ここに取り上げた視点・側面を頭において、これらの専門の参考書を読んだり・映像を見る事により、武道・芸道の立場からの読み取りが可能でしょう。無目的に一般教養として、これらの書籍を読むよりは或る目的を描いて読んだ方が一層意味が理解し易いことでしょう。私は、若い頃からバロックからロマン迄の時代の音楽が好きで、特にバッハの音楽に関心が深く、その為にこの時代の歴史・文化または楽器の発展の歴史・教会音楽と庶民の音楽への変遷等を興味の向くままに随分勉強もしてきました。バイブルについても研究をした時代もあります。その他建築・絵画・文学などを文化論として勉強しながらバッハの音楽を中心にして聞いてきました。これらが、私の西欧の文化を見る切り口でした。
1986年に弓を携えてオランダ・ローマを訪れ、その後定期的な連携を継続的にしており、1996年からはインターネット・メイルを通して一層連携を強化していました。メイルがない時代は、手紙でのやりとりであり、時間の経過もメイルに比較して圧倒的に緩やかでした。情報のやりとりが頻繁になるに従い、現地の弓道人の関心事も一層広く・深く進化し、本書の作成を急いだ次第です。
また、武士道の考え方の中でも述べました様に、この小冊は別に弓道に限定して適用されるものではなく、その他の武道・華道・茶道等日本文化全般を理解する上においても参考となると思います。
本文中にも所信を述べました通り、私は日本文化を西欧の方に強要する意図はありません。しかし日本の武道を修練する意思を持っている以上は、最低限此れだけは知って欲しい日本文化のアウトラインという立場で紹介しました。それらを今後どのように自国文化と融合させて日本の武道・芸道を習得し、その中からどんなものを吸収し、生活を豊かにしていくかは、夫々の分野での西欧における指導者の考え方に委ねたいと考えています。従って、出来る限りコンセプトレベルの視点をする様に努めました。細かな部分を省略して、太い幹を遺したいと考えて筆を進めました。この小冊が、皆さんの弓道修練・他の武道の修練・諸芸事の修練の助けになることを願っています。
以上