野らぼー(2)

(神田)

  ついに、ウインドウズユーザーになる日がやってきた。ベーシック、98DOS、マックと進化してきた私にとってこの日は、大きな意味をもっている。パソコンは、安くなったといってもまだまだ高い買い物である。こんな重要な日の腹ごしらえは、もちろん讃岐うどんに決まっている。讃岐うどん独特の腰の強い、そして、喉越しのいい麺が秋葉原の買い物での決定的な場面で、ベストな決断力をもたらしてくれる。
もし、関東うどんのような、ふにゅふにゃしているうどんを食べてから、秋葉原の海千山千の店員と交渉すれば、決断力もふにゃふにゃ、あやふやになってしまい、結局は、買い物できずに終わるか、スカを掴まされて、死んだうどんの山のように重苦しい後悔をするのが、関の山である。
というわけで、讃岐うどんを食べるのは、決まった。次の問題は、どこで讃岐うどんを食べるかである。讃岐うどんから、決断力を授かり、それが、にぶらない距離、すなわち、秋葉原から近いことが条件となる。となれば、ここ野らぼーになるのは、誰が考えても、マラソンで金メダルをとった高橋尚子が、考えてもそういう結論になるに違いない。
というわけで、ウインドウズユーザーそれもシンクパッドユーザーになるぞという固い決意を胸に秘めて、野らぼーに向かった。
地下への階段を降りて、讃岐うどんMLのステッカーを確認してから、店の中に入った。ほぼ満席の店内だ。カウンターに居場所を見つけ、すべりこむ。そういえば、前もこの席に座ったなと、考えながら、メニューをながめて、ひやひや(並)と玉子の天ぷらを注文した。店内は、明るいというより暖かい雰囲気がある。都会のギスギスしたサラリーマンなら、こういう店で安らげるに違いない。うどんファン以外にも、そういうやすらぎを求めにこの店に来る客も多いとみた。昼は、おすすめランチをやっているので、それを頼む人が多いようだ。
うどんが、やってきました。一目見て気づいたこと。魚肉ソーセージが、普通のかまぼこみたいなものになっていたこと。私は、この変更に賛成である。魚肉ソーセージは、珍しいので、店の人に聞かないと何がなんだかわからないようなものは、一般的なメニューでは、使わないほうがいい。どうしても、魚肉ソーセージにこだわるなら、魚肉ソーセージうどんというものを開発するのが、よいだろう。
盛りは、前回大にして、後が苦しかったので、今回は、並みにしたが、これくらいが、一食分としては、妥当な線であろう。マックの重いパワーブックを買うなら、もちろん大盛りにしておくべきだが、シンクパッド240という1kgそこそこの軽量ウインドウズノートを買うのだから、並みで充分である。
私の期待していたとおり、決断力を授けてくれる麺であった。讃岐うどんの均質感と腰の強さ、うどんのうまさを極限まで追求することによる虚飾の喜捨。打ち手の魂がダイレクトに届く感覚。残存した塩分が、血液の循環を促進する。これらのことが、決断力の増幅に寄与しているのだろう。
今回のただ一つの不満は、玉子の天ぷらが遅れてきたことだった。その後、まっすぐ、めざすショップに向かい、シンクパッドを入手した。帰りがけに「すみた」で一人静かにシンクパッドユーザーになったことを祝おうとしたが、あまりにも決断力が冴えすぎて、買い物がすぐに済んでしまい、その上、早く家に帰って、シンクパッドを使いたくなってしまい、結局すみたに寄らずに、直帰してしまったのが、今日の反省点であった。

2000.9.26

戻る