訪問者寄稿ページ 最終更新日05-06
訪問者投稿ページ開設しました(98-5-26)。
尾瀬の印象、想い出、山行記録など、尾瀬にまつわる投稿をお待ちしています。掲示板に投稿、あるいはメールで送付して下さるようお願いします(その際には文頭にでも「掲載可」と書いて下さるようお願いします)。
メール宛先:はせべ たけし
金木犀はじめての尾瀬:やまこさん(05年6月up)
魅惑の尾瀬撮影行:松田さん(01年5月up)
板のないヨッピ橋:近所のOLさん(00年5月)
尾瀬、昔の写真:吉永 昭さん(99年5月27日up)
1999GWの尾瀬:近所のOLさん(99年5月27日up)
秋の至仏:吉永 昭さん(98年9月15日up)
尾瀬の旅行計画:近所のOLさん(98年8月15日up)
9月の尾瀬ヶ原:吉永 昭さん(98年8月15日up)
三条の滝&八月の尾瀬:吉永 昭さん(98年7月19日up)
至仏山の印象(夏):吉永 昭さん(98年7月9日up)
朝靄の中、尾瀬:M Tさん(98年6月13日up)
尾瀬へのアプローチ:吉永 昭さん(98年5月26日up)
一通の短いメッセージを頂いたのを機に、吉永さんより昔の尾瀬の様子を伺っております。吉永さんが始めて尾瀬を訪れたのは、私がまだ小学校に入ったばかりの頃でしょうか。丁度、私の叔父や叔母がキスリングに荷物を詰め込むのを物珍しげに眺めていたり、近所のTさんが湧き水を利用してミズバショウを育てようとしていた頃です。
私が始めて尾瀬に入ったのはそれよりも十数年後のことですから、吉永さんの書かれるような尾瀬の様子にふれたことはありません。それでも自分の想い出のように懐かしく思われるのは何故なんだろう。
独り占めするには余りにも惜しく思い、了承を得て掲載させて頂くこととなりました。尾瀬へのアプローチ:吉永 昭
Date: Mon, 18 May 1998
昭和40年の6月だと記憶してます。熊谷からSLで沼田へ、沼田からバスに乗り換えて大清水へ。真夜中の荒れた道を、ハイカーをいっぱいに詰め込んだ臨時バスが2〜30台並んで尾瀬へと向かいました。その頃はこれが最もポピュラーな行き方でした。
その時の山行は、キスリングにテントを積み三泊でした。当時の尾瀬沼には、まだ三平下と沼尻を結ぶ焼き玉船が就航していましたし、東電小屋の裏手から景鶴山にも登れました。
当時のハイカーは中高年の方は殆どいませんでしたし、なぜか関西方面の若い女性が多かったと記憶してます。Date: Tue, 19 May 1998
薄れている想い出も沢山ありますが、例えば夜になると必ず雨が降り、当時のテントは綿でできていて多少の防水加工施してあるだけで雨漏りがしました。おまけに次ぐ日雨水をたっぷり吸い込んだテントをキスリングの上に積みます。その重さ想像できますか!Date: Tue, 2 Jun 1998
尾瀬の感動は三平峠から三平下に向かう正面に尾瀬沼と燧そして長蔵小屋、そこは映画「サウンドオブミュウジック」のひとこまとオーバーラップして、私にとって尾瀬が青春そのものでした。
その頃は山小屋に泊まるお金が無くテントと飯盒炊飯でした。テントも今のようなワンタッチでは組立たず、まして床は土、テントのまわりに溝を掘って雨水の浸水を防がねばなりません。でも失敗して眠れなかったことも今では想い出です。
近年尾瀬に入山する事が簡単になった一つは道の整備だと思います。当時は誰もが膝ぐらいまで泥がついてたし顔にも泥が飛んでました。木道も途中で無くなっていて大変な場所もいくつかあり、乗ったとたんに朽ち果てて落ちたこともまた。木道は一本道、重いキスリンク゛にバランスをとるのが精一杯、対抗する人が来ると木道から降り膝までずぼりこんなことも何度か。シーズンでもそれほどすれちがう人はいませんでした。
ニフティーの知り合いが送ってくれた文章です。これまた大好きですねぇ〜!。数え切れないくらい尾瀬に通ってると、こんな初々しい文章は書けなくなってしまう、、。
尾瀬の魅力は何と言っても早朝に限りますね!「素敵ですよ、朝靄の中、尾瀬」まさにコレかなぁ〜。朝靄の中、尾瀬:M T
尾瀬に行ったのは高校生の夏休みでした、いっぺんに好きになって、また次の夏休みにも行きました。高校生の体力は今とは比べモノになりませんね、鳩待ち峠っていいましたっけ? よく覚えてないけど、大清水だったかな、とにかく、一日で一気に尾瀬の木道を歩ききったんです。行きはタクシーをチャーターして、まだ、日もあがらない暗い時間から宿を出発して、木道をボチボチ歩いてくうちにだんだん朝日があがってきて空が白んでくるんです。素敵ですよ、朝靄の中、尾瀬。普通は山小屋で一泊するんじゃないんですか? それをしないで歩いて歩いて、歩き続けて、バスの最終に飛び乗るんです。尾瀬の最終バスの時刻は、街で暮らす人間には、驚くほど早い。えー!もう、この時間でバス、無いの? って。
私も、7月1日に至仏山を楽しんできたところです。この原稿が届いたのが7月3日、もしかしたら吉永さんも至仏山へ行ってきたのかな!?と思いましたけど、実際はどうなんでしょ??至仏山の印象(夏):吉永 昭
七月の尾瀬は沼や原が水芭蕉やワタスゲに代わりニッコウキスゲへと花暦が移ります。一年で最もきれいな尾瀬です。鳩待峠から至仏への登りは比較的楽なルートで、この季節は小至仏から至仏の道はお花畑で、高山植物の宝庫です。その中でも岩陰にひっそりと咲くホソバヒナウスユキソウ(エーデルワイス)は草丈10センチ程で花は一円玉位、けっしてきれいな花とは思いませんが、何故か毎年あうことで愛着を感じ数えきれないくらい登った山の一つです。また頂上からは遠くに(南)富士山、近くに(北)魚沼連峰そして眼下に尾瀬ガ原と<頂上滞在時間は長いときは5時間程いました。この時期の山頂はよく雷雲が発生して、雲の固まりの中で稲妻が光りすさまじい音に身が震え、隠れ場所の無い所でただ身を屈めた怖い想い出もありました。
燧ヶ岳の山頂で、ゴーーー、、という飛行機の飛ぶような音が聞こえた事がありました。いつまでも鳴りやまず、飛行機の姿も見えず「変だなぁ、、何の音だろ?」と思いめぐらし、三条の滝の滝壺から届く音だと気付きました。西からの風が音を山頂まで運んできたのでしょうね。三条ノ滝:吉永 昭
三条ノ滝は今も変わらず大きな爆音と雄大な水しぶきを、訪れる者にたいして感動をあたえていることとおもいます。
初めての滝は見えぬ前にその音で圧倒され身がすくむのを憶えました。目の当たりにしたときは、水量と落差に更に驚きました。前回のメールで関西の女性がと書きましたが、ここでは5〜6人の関西女性グループ(30年ほど前で20歳前後)と出会いました。元気がよくて、なっこく一緒にその場でお茶会をしました。見晴らしからのアプローチは道が荒れていて大変だったし、滝を見るのも命がけ、その時も、ロープを使って下まで降りた豪傑もいました。(滝見のさくは当時ありません)八月の尾瀬:吉永 昭
八月の尾瀬は現在二十四になる息子が二十年前に初めて訪れた尾瀬、今思うとよくも四歳で歩いたと、、、その行程は大清水から尾瀬沼(長蔵小屋)で一泊、次ぐ日、沼尻、白砂乗越、下田代より三条ノ滝を見て、見晴らし十字路(燧小屋)で二泊目、そして鳩待峠へと、この旅で息子いわく「お父さん田んぼばっかり」子供の視点の正直さ、八月はすでに尾瀬は秋、夏の元気から移ろい、沼や原は秋の装いアザミにトンボ、頬をつたう風はなぜかシィーズンの終演を告げるようです。尾瀬はもう一度(紅葉)にぎわいを見せて冬ごもり……
沼田から大清水への路線バスですが、いつの間にか東武から関越交通に経営母体が変わっていたのですね!8月の6〜7と行ってきたのですが始めて気が付きました。それに、最近は人がいっぱい乗った路線バスを見なくなりましたね・・。ツアーバスやマイカーに置き換わったと言うことでしょうね。9月の尾瀬ヶ原:吉永 昭
夏休みも終わり、にぎわいからしばし静かなたたずまいを見せる原。大清水行きのバスを戸倉で降りて、当時は東武のボンネット4WDバスで、未舗装の狭いがたがた道を鳩待峠へとゆられて行き、つくまでに疲れたのを思い出します。まだ若かったので三条ノ滝まで日帰りをしたことも、晴れた日は木道で昼寝をしていても誰も通り過ぎません。寒くなって目が覚めました。原の真ん中(中田代付近)でいくら見回しても人影がまったくなく、独り占めの尾瀬を満喫できたのもこの頃でした。この時期はななかまどから紅葉が始まり、池塘の羊草や尾瀬コーホネもしだいに色ずきます。尾瀬の紅葉はけして派手さはありませんが、夕日に染まった草紅葉は黄金の輝きを見せ、とても幻想的です。
これを読むと、遠方よりはるばると尾瀬を訪問される方々の苦労とか、始めての山支度に戸惑う姿などが偲ばれます。それにしても、いったい二人の山行がどんなふうになるのかなぁ〜!?ってすごく興味ありますねぇ〜。近所のOLさんのHPに旅行記がアップされるのを首を長くして待つことにしましょうか・・。尾瀬の旅行計画:近所のOLさん
86年の夏、近所のOLさんは始めて尾瀬を訪ねました。その時の様子がホームページで読めますので訪問してみて下さい。
皆さんこん××は。
今日は現在進行中の尾瀬の計画についてお話しします。
会社の元同期の子と、尾瀬に行くことにしました。彼女、転職して今は派遣なのですが、8月で一旦、派遣先の契約が切れるので私が自分で手配するからと強引に誘ったのです。私は初めからオーダーメイドで旅を組み立てるつもりでしたが、彼女はツアーのことを口にしました。「有名な観光地なんだから、絶対ある筈だよ!!」と。特割で飛行機を押さえるのと同時進行で、福岡発のツアーを探してみたんですが日程が合わない上に色々なおまけが付いてくるものばっかりで。(^^;)例えば、「尾瀬沼散策と日光・鬼怒川温泉3日間」これは、沼山峠から4〜5時間のハイクをして沼山峠に戻り、会津若松・日光観光をして鬼怒川温泉に泊まるというものです。更に、東京発のツアーも探したのですが、帰りの飛行機がどうしても間に合わず結局山小屋も、バスも飛行機も分割して手配しました。
更に彼女は私に質問します。
「ハイヒールは駄目?リュックじゃないと駄目?傘は駄目?石鹸、シャンプーは駄目?」「ズボンは一枚じゃ駄目?」「駄目、二枚要る。」「何で?」「転ぶから。」「何で転ぶんよ?何で?転んだのは小走りしよったんやないの?」一通り、駄目な理由を教えてあげましたが、彼女にとって尾瀬はおろか山は初めて。色々とカルチャーショックがあるのでしょう。私もガイドブックで得た知識で尾瀬に出かけたのですが現地に行って初めて判ったことや、説明に書いてあることは実際にはこういう事だと言うのを身を持って体験しましたので。とは言っても、私も二年振り二度目の尾瀬。これからも発見の連続でしょう。手配の殆どが片付いて彼女との頻繁な連絡から解放された頃。彼女から、暑中見舞いの返事が来ました。「....もちろん、一人で行きたい時、又は他の友達と行きたい時は別に誘わんでいいんで。....」なんてこったい、今までの私の苦労は?ん〜もうこうなったら、絶対に引きずり込んでやる!! 今度は彼女が誰にも声かけずに一人で尾瀬に行ってしまうようになる迄。という訳で、彼女をどやって感動させようか思案に明け暮れる今日この頃でありました。
吉永さんの原稿届いたとき、やっぱり同じようなことしてるなぁ〜!と笑ってしまった。カメラも同じですねぇ、、わたしもペンタックスの67使っています。私の場合はペンタ67買って何年かなぁ、、たしか1983か1984年に購入したんだと思います。未だに後継機出てないし、べつに新しいの欲しいとも思わない。カメラってパソコンに比べると実に経済的ですね(笑)。
朝日を待つ場所は、やはり子至仏になるのかな、、。東の斜面がすぱっと切れ落ちて邪魔物がないとか、至仏山まで着くのは時間的に辛いとか、、。あとは、オヤマ沢田代手前の大きな石があるところ、吉永さんもたぶん!?秋の至仏:吉永 昭
昭和51年十月(平日)、午前4時鳩待を出発、闇の森の独り歩き慣れはしてるものの背筋が寒くなるのを憶えてます。この頃から車で鳩待まで来るようになりました。戸倉から津奈木、林道を車のライトを頼りにすれ違う車もなく未舗装の狭い道を走り鳩待山荘の明かりがぼんやり見え一安心、駐車場には数台(二、三台)の車、木々の触れあう音以外何も聞こえません。
一休みして至仏山へと歩きだしワル沢の分岐までは視界もなく(闇夜もてつだつて)森の中でもオヤマ沢田代では何となく見えた(月夜かどうか憶えたない)。小至仏でしらんできたので一休みして、愛用のカメラ(ペンタックス6x7)を取り出して稜線づたいに歩きアングルを決め、燧の肩からのぼる朝日(日の出前)を取り込みシャッターをきった。この付近はすでに冬支度、原は雲海にしずみ燧から景鶴、会津駒が雲海に浮かび朝日に輝いて美しかった。やがて雲海の下から原が顔を出し始め、しっかり秋化粧(草紅葉)をしたのを見せてくれた。
久しぶりの寄稿ページ更新です!近所のOLさん、どうもありがとう。私も、まだ鳩待峠から戸倉まで歩いたことありません。紅葉の季節などは、好きこのんで歩いていく人もいるそうですよ。それと、バス待ち2時間以上!なんて日には、待ちきれなくて歩き出す人もちらほら見かけました。乗せてくれた人は水上方面からこんろく峠を越えてきた観光ドライブの人なのかな??山歩きする人だったら「死ぬぞ」なんて言わないと思う、、。 私だったら「すごいねーー!!」って感心しちゃうな(^^; 尾瀬の紀行文、そのうちホームページにUPするんでしょ?(リンクページとここのURL直しておきました、遅くなってごめん)
1999GWの尾瀬:近所のOLさん
はせべさん、こんばんは。近所のOLです。
内輪にだけ受けそうな内容になってしまいましたが、(笑)
良かったらネットで公開してくださって構いませんので、宜しくお願いします。
本番の文章書いてるんですが、アップは当分先の話になりそうなんで。先ず、当日の状況を説明しときますね。
1999年5月5日の八時、鳩待峠から話が始まってます。
当日の鳩待峠始発のバスは十時、天候は大荒れのお天気、気温も低いです。
普通、こんな所は普通に通過しちゃったら何も書くことがないのですが、以下のよ
うな暴挙に出るわけです。(汗)
だって至仏山荘バスの時刻表が掲示されてなくて分かんなかったし〜あまり他の人に真似して欲しくないけど、
(どこが?一杯ですわ。(汗)三カ所ぐらい。)
一応下りだったら戸倉まで何とかなるということが判りましたね。
ガイドブックを見ると、戸倉〜鳩待峠は十一キロになってます。+++++++++++++++++++++++++++++++++++
しまった〜
早く到着したものの、始発のバスは未だだ。
歩いて熱を帯びていた体が元に戻りつつある。
何もしないで居ると、気温が低いのがはっきりと解る。
休憩所でぜんざいを食し、ぼんやりとするがとてもじゃない、時間を消化しきれな
い。
寒い。このままでは風邪を引いてしまうだろう。
あと二時間....どうする?悶々とした挙げ句、戸倉まで歩いて降りることにする。
車での所要時間は二十五分。山道だし大したこと有るまい。
でも道路を歩くって事は、道中の交通手段を放棄することになる。
覚悟を決める以上、歩き通さねばならない。こんな風景、歩いて見ることが出来るのって貴重だよね。
車から眺めていた景色は今度はゆっくりとしたペースで、歩く度に変わっていく。
面白い。
植物も一杯咲いている。
ああっ!!水芭蕉。
川の辺に密生している。近づけないのが残念だが純白の花びら。綺麗だ。
道路は笠科川沿いに入り、水の流れは一層激しさを増してくる。
電池切れの警告の出ているカメラを無理しながら写真を撮り続ける。此処まで一時間半。
一向に町が見えてこない。
....これってやばくないか?
道は合っている筈だ。分かれ道で旨い具合に、路線バスが来た方向を確認すること
が出来たから。
歩くのにもそろそろ飽きてしまった。
カメラの電池も限界だ。
自動で動く蓋の開閉にも時間を要す。まずい、フラッシュが光ってしまった。
もう駄目だ。
カメラは閉じることなく、沈黙してしまった。
最悪だ。そろそろ見えてこないかな?
写真を撮りながらだけど、二時間は経った。
当てが外れた。せいぜい一時間ちょっとと思ったのが楽観的すぎた。
だいたい自分はねえ〜
自分自身に対して、説教し反省する。
まだまだ歩けるよ。食料も水も大丈夫。疲れたら休めば良いんだし。
やったー。スキー場の傾斜が視界に入ってきた。
だったら、後、もう少しだね。
トンネルを二つくぐる。ここは確か、戸倉を出て間もなく通ったトンネルだ。その時、一台の車が私を見て止まった。髭の立派な中年の男性が一人。
戸倉までの距離を聞く。余りないと言うが、言い方が何だか強迫めいている。
相手の真剣さと裏腹に軽い気持ちで、助手席に乗せてもらう。この人、怒ってるぞ。何で?
「地図をみたのか?」
「何で、バスに乗らなかったんだ?」
「死ぬぞ。」....アホくさ。
この人に対して山歩きの楽しさを語るのは、どうやら無理そうだ。
私は尾瀬にわざわざ「歩き」に来てるのにね。
価値観の違いってやつですか?
下り坂とはいえ、何キロも道路を歩いてると疲れるし苦しいかもしれないけど、尾
瀬からの帰りの為か、山歩きの延長だと見てたのにね。私としては。
傍目から見ると、異常な行動かもしれないけどさ。
大人しく、戸倉のバス停まで送って貰いました。....まあ、物事は良いように考えましょうか。
心配して貰ったんだし、おじさんのお陰で、時間も出来たことですし。
と・く・ら・お・ん・せ・ん。
日帰り入浴できるところを探すと、バス停の近くの玉泉を紹介して貰う。
次のバスの時間まで、あと三十分。
時間はないが、温泉で尾瀬の疲れを癒すことが出来るなんて最高。私が尾瀬の帰りだと察すると玉泉のご主人が、尾瀬ヶ原の状況を聞いてくる。
ここはどうだった?咲いてた?むむむ。あと、二週間ぐらい先だろうね〜
ご主人、尾瀬にちょくちょく行ってるんだろうなあ〜
私の方がもっと話を聞きたい位だったが、おおっと、時間が無かった。今まで溜まっていた汚れを洗い落とし、美肌に効果があるという湯船にのんびりと
浸かりたい所だったが、体が発汗を始めたところでタイムアップ。
惜しい〜
お風呂の礼を言い、慌ただしく玉泉を後にした。
吉永さんより、昔の尾瀬の写真を送って頂きました。
とっても興味深いのがあります!こんにちは、
ご無沙汰してます。
いよいよ尾瀬のシーズンです。
お変わりありませんか!写りが悪いですが、三平下から沼尻へ行く、
焼玉船とその桟橋、30数年前の写真です。
向かって左の背が高いのが私です。
今晩は、ご無沙汰してます。
昭和50年頃の、下の大堀から景鶴山への被写体にある、
白樺の木も三本とも元気だったです。
参考になれば幸いです。尾瀬通信(尾瀬の朝)を楽しみにしてます。
ではまた……、
今から数年前、私が撮った同じ場所は、、
ほんの少しずつ、尾瀬の様子も変わっているんですね。
あともう少し。
傍目から見ればほんの二、三分の出来事だっただろう。
だが、私にとってはとてもとても長い時間に感じられた。
やっとこの緊張と不安と恐怖が入り交じった感情から解放されるのだ。
魅惑の尾瀬撮影行:松田さん
はじめまして。
突然の投稿お許しください。(なお、本稿は許可を問わず掲載しても一向に構いませんので・・・)小生はハセベさんとは隣町にあたる鳩山町に住むシガナイ地方公務員です。最近、風景写真に凝り始め、付近の里山や昆虫などを撮っては一人悦に入っています。さて、私と尾瀬とのつながりは、かれこれ30年も前になるでしょうか。中学1年の夏休みに生物の先生に連れられて出向いたのが最初です。当時はまだ尾瀬沼にポンポン船が行き交い、木道の整備も万全なものではなかったと記憶しているので
すが・・・。そして、かれこれ数十回は尾瀬に通っている昨今です。当時は漠然と植物やトンボの写真を撮り歩いたり、気ままにバードウオッチングなんぞを楽しみながらの単独行でしたが、最近はカメラや三脚を担ぎ、午前1時、漆黒の鳩待峠をビクビク下り行く素人カメラマンになりつつあるのです。それにしても真っ暗闇の山道の怖
いこと。でも、勇気を振り絞ってトボトボ歩き出す。まして最近はよくクマが出没するっていうじゃないですか。こんな調子ですから、早い時は30分足らずで原まで下ってしまうこともあるのです。
そして、いつもの中田代のポイントで待機。池糖の先には突き出た燧ヶ岳を茜色の空が見事に演出してくれる。立ち込める靄の中に突如出現する白樺林、そしてツタウルシやナナカマドの深紅の競演。何回通ってもその都度トキメク尾瀬。だからやめら
れない。昨年は、奮発してPENTAXの67Uを購入し、愛蔵していたCONTAXやNikonの35mmカメラと共に果敢に尾瀬を撮りまくっています。尾瀬の自然、それはまさに魅惑の世界でありフォトジェニックの連続なんですね。
そんなワケで思うままに記してしまいました。今年もたぶん十回くらいは尾瀬にトライするでしょう。ハセベさんの作品もどれもみんな素晴らしく、うっとりと眺めてしまいました。今度時間があったらゆっくり見せてください。少々長くなりましたね、書き出すと尽きないのでいい加減に止めときます。
PS:ところで、ハセベさんとは同年齢になるのかな?。
最近、三脚に悩んでいます。67に合う三脚って、何が一番なんでしょうね。
やまこさんの初尾瀬山行をご紹介します。
京都府福知山高校の1940年生まれの同窓会を母体に、60歳記念パーティーで誕生した「フォト金木犀」、さらに旅行などを楽しもうと発展して「金木犀悠遊」ができ、昨年11月に尾瀬行きを立案されたそうです。2月にメンバー募集、3月説明会、4〜5月には4回の練習登山を経て、2005年の5月末〜6月にかけて総勢19名で尾瀬を充分に楽しまれました。
メンバーの半数は山登り未経験者だったそうで、リーダーの方は心労重なったやも知れませんが、尾瀬に触れて喜び輝くメンバーの顔を見たら、苦労なんか吹き飛んでしまったのでしょう、きっとね!。(はせべ)同窓会金木犀、はじめての尾瀬山行:やまこさん
こんばんわ 尾瀬より無事に19名帰りました。
いろいろアドバイスをありがとうございました。
今回は荷物を少なくしたいのでデジカメを持たなかったので、様子を見せることが出来ませんが、すばらしい!の一言に尽きます。 ありがとう!です
戸倉からバスに乗り鳩待峠に着くと目の前の至仏山に、感動!感激!。下り気味のみちのりで、夜行バスのつかれもなんのその、どんどんきれいきれいの連発で、山の鼻キャンプに着き早めのお弁当、どこにでも自動販売機や売店があり、便利でした。
十字路に5時頃付き、さすがほっとし親切な宿の方に迎えられうれしいでした。お風呂がなかなか沸かず、わきかけると熱くて吃驚でしたが、こんないいお風呂はそうそうけいけんできるものではないですね。食事の後男子が飲み始めるので、ガイドの女性が「今日は、8時には静かにしてよー。」といい、そのとうりみんな眠りました。7時にいびきしている人もいましたよ。
31日は、三条の滝へ行く人と、撮影でゆっくりする班に分かれ、私は写真をえらび、東電小屋〜よっぴばし〜富士見(竜宮か見晴らしの間違い?byはせべ)とゆっくりしました。朝の雨もまもなくあがり、青空はなかったですが、暑くなく、寒からず、グーでした。
三条の滝組も「すごーい怖い」「迫力」「しんどい」「でもよかった!」。靴の調子が悪いといって一人で帰った人がいましたが、彼女は2回目でわかっているからって。
夕食後早く寝ようと思うほど眠れず、8時にはいびきが始まり、漸くうとうとっとしたものの、目が覚め12時にトイレに起きてお星様のすごいのを見てしまい、裏口からどこか良い所無いかなーと、星空をシャッター、、初めてのこと。1時に見に来ると動きの方向がこれならいけるかも!と、どうなっても試して見ようと、2時でロックを解除しカメラを部屋へ持ち込むのは音がするので階段の途中に置き、3時7分に起きて朝の撮影に出ました。昨日の夕方には何人か「うん行くよ!」って言ってたのに誰も出てこないので、私一人近場でもと、凍てつく木道をそろりそろり、滑りますよー。
そのうち一人二人4時半頃からでてきて賑やかになり、あたりもあかるく、三脚が、邪魔になり譲り合う頃になりました。
出来上がりは全く判らないのですが、こんなきれいな景色をゆっくり味わえることに、自然を守っていただくみんなに、そして時間をくれた家族に、かんしゃしました。
6月1日、さー帰りの始まりー。5時半食事、お世話になります。6時出発、出てすぐに女子が、殆どのグループが、前を行きそのうち直ぐ雪の中の登り道、、吃驚しましたね!。行っても行っても登りの雪の中。そのうち40度もあろうかと思うような、そう見える雪山を、登ることしんどかったーリタイヤするんじゃないかと思うくらい!。でも後の弱そうな2名のおもりがあり、この先頭は同じ女性がリードしているんだ!がんばらなくちゃーって、塩見さんが頼もしく光っていました。三平峠をこえると平和なといってもあの階段の山道が、とどめなくように応えました。一ノ瀬でのラムネとソフトクリームのおいしかったこと!。お店の方に、こんなに、安くで迎えていただいて、ありがとう と大清水で待ってくれているばすで、温泉へ行き14時予定を15時30分発で、家路に6月2か1時に自宅に帰りました。
リーダーは、テントまで持参していたそうです。女では、私の荷物が、一番大きく、サブリーダー3にんで、「山内の荷物は、持ってやることに成りそうだ」なんて心配されていたそうで、何度も、「よく、あれほどの荷物をかついだなー!」って言われました。
私のザックは、35,で9,5キロありました。帰りにはおみやげが少しずつ増えました。でも、指導されたとうりでカメラとレンズも一本に減らし、デジカメも止めてコンパクトにしました。aps フィルム5本と、リバーサル7本 準備も(お金)怖かったですが、後もウーンです。
つまらない感想?初めての山登り、、帰りのバスで、あっぱれな女子!だって? つぎは、美ヶ原か、大台ヶ原、 あっちは、雨がなければ歩きだけ、アップダウンがないもの今より若くなっても行けるかもね。
やまこ